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2004年7月

2004年7月31日 (土)

術後1日目

夜があけはじめてから時間が長い長い! 看護師さんいわく、朝の8時までは寝ていなければならない。はかちゃんの確認が要るらしい。オレ様はもう発狂寸前。

何度も何度も時計を見た。“早く時間が過ぎて欲しい”それだけ願っていたけれど、時間はとまったまま。「なんでオレ様はこんなところにいるんだ?」この1ヶ月のバタバタぶりを思い出し、絶望的な気分になる。病室の天井が落ちてくるような気がした。

どうにもこうにも腰が痛かったので、気を紛らわそうと、導尿の実験をしてみることに。ちょっと力んでみた。「本当にでているのか?」するとベッドの下のほうから「ちょろちょろちょろちょろ」音が聞こえてくる!スゴイ!でも、こんなんやっぱりした気がしねぇー。

そうこうしていると隣の徘徊老人のおむつ交換をするために、Nさんが登場。ラッキ!頼み込んで、ベッドの背もたれ角度を少し起こしてもらうことに。ところがこれが逆効果。全体重が腰に集中して余計悪い状態に。結局、15分おきにおきたりさがったり。人間パトリオット。あまりにも辛そうにしていた私の様子を見かねて、Nさんが腰に氷枕をあててくれた。うれしさに涙がでた。

ようやく8時になってはじめて歯磨き。体を少し起こすと胸に激痛が。にゃ===!!いて===。何事===!!痛すぎる===!!

電動歯ブラシをもってきて大正解。右腕なんかとてもじゃないけど動かせない。力なく歯を磨き、そら豆型のうがい器に吐きだした後、ぼけーっとしているとはかちゃん登場。さっそく腕の上げ下ろしをさせられる。SMだ。腕は上げようと思っても30度ぐらいしかあがらない。アルプスの少女ハイジに出てくるクララ状態。

「大丈夫、動かせるぞ(クララ!)」とはかちゃんに励まされる。 

ひとしきりおしゃべりをした後、導尿のバルーンをとってもらう。情けない姿だ。このときT字帯を発見。あれま、こんなことに使っていたのね。その後、B1までレントゲンをとりに行かされる。地獄的!

「若いから歩けるでしょ。大丈夫ね。」昨日までやさしかった看護師さんの態度が厳しくなっている。あとで癌友に聞いたら、彼女のところには移動レントゲンマシーンがきて撮影してくれたそうな。っち!

立ち上がろうとしてバランスを崩し、ふくらはぎの筋肉を傷める。軽い肉離れ。最悪。

病室までは点滴転がしながら歩いて移動。相変わらず体は斜め、まっすぐ立てない。病室の仲間は大歓迎で迎えてくれる。ありがたいが、身体は痛い。電動ベッドに体を横たえ、そのままダウンボタン。

夕方、義姉まで来てくれたが、発熱のため爆睡中。全然気がつかなかった。初めての手術、ダメージが大きすぎるぜ。

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2004年7月30日 (金)

手術

いよいよ手術。

朝6時に起床し、まずはトイレで浣腸!イチジク浣腸みたいなもんだろうと思っていたら、看護師Kちゃんが持ってきたのはぶっとい注射器!!「なんですか?それ。」 「浣腸です。入れますから後ろを向いていてください。」▽★×●!屈辱的!非人道的!SM!スカトロ!

「5分ぐらい、頑張って我慢してくださいね」とKちゃん。ところが5分たってもあまりお腹が痛くならない。

「本持ってきても良い?」「えええ?間に合いませんよ!」「大丈夫、大丈夫」病室までいったん戻り、読みかけの文庫本をもってきた。ちょうどその頃キュルルル~。きた===! 

前日から絶食しているのであまり出なかった。浣腸損。

その後、術着の一歩手前の状態に。両肩の部分がマジックテープになっていて、手術台の上ではがされる。60年代ファッション風の柄。その後、魔法使いサリーちゃんのハイソックスを着用。これは肺気腫を防止するためのもの。細く、きついため、履こうとしたときに手が滑って顎を自分で殴ってしまった。ぷぎー!

8:15頃、Y君がきた。だべくり倒していると8:30分。いよいよお呼び出し。左肩に筋肉注射を一発。これが痛い!!ベッドにのったまま3階の手術室まで移動。寝たままの状態で運ばれるのでカーブの度に酔いそうになる。おえー。

手術室の入り口はドラマでみたまんま。「わお、ドラマみたい」と思っている間もなく、「ご家族の方とはここまでです」「じゃあね~、行ってきま~す」

中へ入ると高級料亭の扱い。「お名前と手術する部位を言って下さい」という問いかけがスタートの合図。数名の看護師さんが私にむらがってくる。服は剥がされ、足にはもみもみマシーン装着、麻酔の準備も始まる。もうなんだかかんだか。

一つだけ楽しみにしていたことがある。手術室へ入るまでの間、リラックスできるように持ち込んだCDをかけてくれる。個人的にはテクノファンだが、先生にノリノリ状態で切られても怖い。そこでY君にお奨めクラッシックを持ってきてくれるよう頼んでおいた。

「どんな曲かなぁ?」楽しみにしていた私の耳に入ってきたのは、女子十二楽坊の「川の流れのように」

混線したらしい。「曲のセンスが悪すぎる!」と愚痴ると「麻酔入りますね」術前の説明では3つ数えるまでには気を失うとのこと。ところが「1.2.3.4.5・・・??効かないぞ!やばい!6.7・・・酒の飲みすぎが原因?効かないって言ったほうが良いかも!・・・」ここで意識を手放した。そう、川の流れとともに。

自分の名前が呼ばれていることに気がつき、目が覚めた。「手術終わりましたからね。よく頑張りましたね」「あっそー」。眠くて眠くて、もうどうでも良かった。そのまま爆睡。その次に目が覚めるとベッドの上。いつの間にか浴衣姿。「どこが痛い?」看護師のN川さんが聞いてくる。順番をつけると・・・

  1. のど(麻酔のせい)
  2. 右腕(手術の間じゅう吊っているため)
  3. 腰(寝すぎ)

手術した場所は感覚が全くない。麻酔がまだ効いている。右腕のだるさにはブチギレ状態。術中、上に吊っていたため血が周っていないのだ。Y君に「揉んで!」というが、もともと平和主義者なので揉み方が甘い!全然ツボに入ってこない!それがまた頭にきて「そうじゃない、こう揉んで!!」と指導モード。ずーとこのバトルを繰り返していた。そのうち、遠くにはかちゃんの姿を発見。私とのバトルにあきれつつ、「旦那さん、ちょっと良い?」

「旦那さん、ちょっと良い?だぁ~??」これって状態が悪いときによく医者が使う手だ!本人がいない所で「実は・・・」のパターン。ドラマではそうだった!えええええ、そんなに悪いの~?!と思いつつ、酸素マスクの気持ち良さにつられてまた爆睡。これ後で問いただすと「予定通り済みました」それだけだったらしい。なんだよ、はかちゃん。

20時の面会時間が終了し、Y君帰還の時間に。「なんかあったら看護師さんに言いなね。すぐ来るから」「ありがとう。ばいばーい」。後で聞くと、本当に顔色が悪かったらしい。Y君も「ヤバイ!」と思ったみたい。しかし、本当の地獄はこの後に・・・。

21時頃から発熱がおさまってきた。術後すぐは最高で38.6度まででていたらしい。「枕がないです~」というと、術後は枕をしてはいけないらしい。知らんかったよ。今から思えば、腰痛もこれが原因だ。

23時頃からだんだん腰やら傷跡が痛くなってくる。看護師さんに頼んで痛み止めの点滴をぶちこんでもらうことにする。ところが、体の中に入り始めた頃から、激しい動悸と絶望感・閉塞感に襲われる。天井が落ちてくるような感じ。この感覚は今でも忘れない。発狂寸前になってあわててナースコールボタンを押し、点滴STOPの指示をだす。

「眠れなくても大丈夫ですか?」 「うん。もういい。起きてる」とは言ったものの、この頃から腰が爆発寸前!右側を向いて寝てはいけないし、左側を向こうにも体のあちこちから出た管が邪魔。ちょっとでも体を動かすと激痛がはしる。どうにもならんぞ状態。結局、15-30分おきにナースコールをおして体位変換を頼むはめに。看護師さんも面倒臭いのか、呼ぶたびにナースコールが遠くの場所に追いやられる。「んな所じゃボタンに手が届かない!」。あまりの腰の痛さに、導尿されているにもかかわらず、「トイレに行きたい!行かせて!」宣言。んな訳ねえだろ。ま、立ち上がりたくて仕方がなかっただけなんだけど。

夜中、隣の俳諧じじいが糞尿をもらして臭い。シーツ交換をバタバタやっている。「あ~あ、もれちゃってるじゃないの」ベテラン看護師Iさんは声が大きいのだ。糞尿の匂いと腰痛、、、まさに人生最悪の夜。だんだん夜が明けてきた。あともう少しだ。頑張ろう。

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2004年7月29日 (木)

手術前日

まったく眠れなかった。いきなり10時消灯だもの。

  • 朝6時起床。検温と問診。
  • 7:30朝食。
  • 10:00回診。
  • 12時昼食。
  • 18時夕食。
  • 20時、夜の検温と問診。
  • 22時消灯。

これが病院の1日のスケジュール。健康そのもの。

手術前日はイベントが目白押し。

  • 麻酔の説明&承諾(サイン)
  • 手術に必要な用具の購入(浴衣は病院から貸してもらうことに、胸帯・T字帯・おむつを購入)
  • お風呂(15:00-15:30)
  • リハビリ外来の説明
  • はかちゃんの説明
  • アレルギー反応のチェック

麻酔の説明が怖い。歯がかける可能性(差し歯がおちて気管に入ると大変らしい)、喉が痛くなる、肺気腫の可能性・・・不安なことばかり書いてある。要は、万が一なんかあっても知らないよ、ってことの確認。麻酔なしで手術するなんて考えられないからサインするしかない。

手術グッズはバカっ高さに仰天!胸帯は5000円近くもする。高級下着並み。T字帯はいわゆる「ふんどし」。これをどういった場面で着用するのか、疑問だ。おむつ・・・。この歳でおむつの世話になるとは思わなかった。

お風呂はこれから先しばらく入れないので、ごしごし3回も洗った。上半身の無駄毛剃りも。最後に明日切り落とされる右のおっぱいに「ごめんなさい」と最後のお別れ。

リハビリ外来の説明中、中にあったカレンダーをみてびっくり。28日は大安の「サル」、30日は先勝の「イヌ」偶然とはいえ、両方とも良い日だ。

夕方、Y君と合流してはかちゃんの説明。全摘の最終確認。また、腫瘍の位置が悪く、筋肉との癒着も懸念されるため、あけてみてやばかったら筋肉も一部切除することを確認した。

「すっぱり切っちゃってください。」先生に最高級3000円ユンケルを手渡す。「こんなのもらったことない!」とバカウケ、大爆笑。下痢するとマズイから術後に飲むと約束。CIMG0069

午前中、B1ホールでミニコンサートがあった。高校生の若さあふれる健康美、ナマで聞く音の美しさに、哀しみと嫉妬、運命の差別感、若さへの憧れ、懐かしさなど、いろいろな感情がこみ上げてきて、思わず涙が出た。告知されてから2回目の涙。

検温(朝)36.8度、(昼)36.9度、(夜)36.7度

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2004年7月28日 (水)

入院

入院受付10:15分に着いた。緊張のまま手続きを済ませ、病室へ案内される。看護師長さんはM田さん。とても優しそうな感じの人だ(当たり前だのクラッカー)。ただし体臭がキツイ。ひょっとしてワキ★?

場所は620病棟の8号室。1番突き当たりの日当たり最高部屋。しかも窓際。ラッキー。

部屋でお店をひろげたあと、担当の看護師さん(N川さん)と挨拶。右手に名前を書いた腕輪をまかれる。なんだか罪人みたい。簡単に院内の案内をしてもらった後、取調室へ。

病歴や家族関係、今の心理状況など、みっちり聞かれたあと、術後看護の説明をうけた。1週間は体のどこかに管がつながった状態のようだ。特に術日とその翌日は人生の中から抹消したほうが良さそうだ。

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2004年7月27日 (火)

入院前日

ゆったり、落ち着いた気持ちで入院・手術にのぞむことができそうだ。今はもう、はかちゃんを信じてお任せするしかない。まさにまな板の上の鯉。

母親も大分落ち着いてくれた。電話をしたら逆に励まされた。母は強しだ。ちなみに術日は父親と同じ日になりそうだ。

姪っ子のMちゃんが遊びに来てくれた。義姉のはからいだ。ありがたい。不安な気持ちをまぎれさせてくれる。

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2004年7月25日 (日)

入院準備

入院に備え、パジャマなどのグッズ類を買出しへ。

普段、夏はTシャツに短パン、冬はスウェットにジャージで寝ているので、パジャマなんか買うのは久しぶりだ。

暗い気持ちにならないよう、明るい色・柄のパジャマを着替えも考え3枚購入。おりしも世間は夏のバーゲン中。自分のおかれた状況と世間との運命のギャップには笑えた。ワゴンの中には30%~50%OFFパジャマがてんこもり。下着類も購入して準備は万端だ。

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2004年7月24日 (土)

術前ラスト★水泳

CIMG0196 術前最後の水泳。4種目、心をこめて泳いだ。

術前に風邪をひくとマズイので、1時間、水の感触を確かめながら、ゆっくり、ゆったり泳いだ。プールで今すれ違った人も、私がこんな気持ちで泳いでいるなんて思いもよらないだろうな。

プールの神様。練習がツライとかもう言いません。絶対、この場所へ戻ってきます!だから守ってくれ!お願いします。

ゴーグルの中が涙でいっぱい。コクられてから初めて泣いた。しょっぱかった。

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2004年7月21日 (水)

母は強し!

母復活!病名を知らせた翌日、パニック状態で叔父ちゃん(実兄)のところへ電話したらしい。「こんなことになっちゃってかわいそう」と言ったっきり、泣き崩れて大変だったらしい。そりゃそうだろう。

電話を受けた翌日、早速家へ行ってくれた。おかげで母の気持ちも整理がつき、大分持ち直してくれた。本当に感謝。頭があがらない。

父、私と癌続きだったので、母親のことが一番心配だった。これで一段落。気を静めて入院することができる。母は強しというけれど、本当だ。強くてよかった。表面上だけかもしれないけれど。

RIMG0620 術後、右腕があまり動かせなくなるので、老後にやろうと保管していたプラモデルにとりかかっていたが、本日ようやく完成。

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2004年7月20日 (火)

仕事の引継ぎ完了

不幸中の幸いとはまさにこのこと。仕事は全て立ち上がったばかりの企画レベル。手術までの時間を使って、猛暑の中、連日クライアントへ休職の挨拶&業務の引継ぎへと出向く。

精神的にかなりハイテンションだったため、勢いあまって病名をカミングアウトしまくり。「内臓の疾患で・・・」ぐらいにしておけばよかったと後で後悔。ま、このぐらいガツンと言わないと、真剣にとりあってくれなかったかも。

遠方の方には、挨拶メールを送信。心温まる返信をたくさんもらった。

不思議なことに、「仕事上のつきあい」レベルだと思っていた人から励ましメールをもらうことが多く、親しみを感じていた人からはなんの返事もなかった。こんなことがあると、人間性がみえてくる。おかげで友人関係の「ふるい」をかけることができた。

帰社後は、会社の同僚への資料の引継ぎ、業務の進捗状況の説明。

年度末のバタバタを回避しようと、先行して動いていた部分が多いので、報告書ファイル・パソコンデータまで詳細な内容、多岐にわたる。

術日を1週間伸ばした分仕事の引継ぎはほぼ完了。しばらくは治療に専念できそうだ。

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2004年7月18日 (日)

母にこくる!

父親が入院しているT病院へお見舞いのふりをして、私の病気を伝えに行った。メインイベントは、母へ告ること。

丁度、私が検査漬けになっているとき、父親も歯肉癌を患い、病院ベッドの空き待ちをしていたのだ。私がグレーゾーンでGパニックだというのに、父は「もしもし~、パパねぇ、癌になっちゃったよ」などと気楽に電話をしてくる。怒!なぜ私に電話をしてくるのか?姉貴に電話してくれ!姉貴に!困り事の処理はいつも私だ。

Y君は「頼られている証拠だと思って」というが、今の状態では、正直いって自分のことで精一杯。特に父親に対しては、これまでも裏切られてばかりいるので、同情や心配する気持ちが全く起きてこない。むしろ、そんな父親に振り回されているであろう母親のことが心配だ。この上、追い討ちをかけるように私の病気を告げたら。。。と考えると、怖かった。

母も悪い予感がしたのか、昨晩も「わざわざ来てくれなくても良いわよ。とっても初期の癌だから」などと言ってくる。「だめ、行く。私が用事あんの!」

面会の場所を病院のレストランに移し、ケーキセットなんぞを頼んで、楽しく団欒。みんながケーキを食べ終わったときを見計らって母に告った。「実は私も病気で再来週から入院することになったの。NEW癌になったの。」

伝えた瞬間から母は顔を覆い、あとは泣き続けるだけ。案の定のパニック状態。私に頼ってばかりいたことを悔やみ、謝ってくる。レストランの営業時間が終了したので、姉、Y君、私の3人でタクシーに乗り、自宅まで連れて帰るが、道中も泣きっ放し。

ところが、家に帰ると急に元気に。よくよく観察すると、どうやらショックの大きさに記憶をとばした模様。病院での出来事、行ったことすら思い出そうとしない。Y君と「マズイよね」。夜、一人にするのがとても心配だ。

こういう事態になるであろうことはあらかじめ想定できていた。前日、姉貴には「ママのケアーは頼むね!絶対だよ!」と伝えておいたのに、母の錯乱ぶりをみた姉の口からでた言葉は「今日は帰る」。最低。現実逃避。せめて妹の生命のピンチには、身体をはって支えてくれると思っていたのに。

心配だったが、今晩いっしょに過ごすのは、私が辛い。崩れるだろう。「大丈夫。ママも頑張るから。大丈夫よ。」という言葉を信じ、Y君と帰ることにした。後ろ髪を引かれながら。怒りながら。

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2004年7月16日 (金)

高校時代の友人から電話をもらった。ふたりとも私のために泣きながら電話をしてきてくれた。ありがたい。今まで仕事の忙しさにかまけてほったらかしにしていたのに。ごめん。

仕事の引継ぎをするため、クライアントへの挨拶回りスケジュールをたてた。直接行くのは全部で4件。あとは電話とメール。体調を崩さないよう、注意しなければ。

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2004年7月15日 (木)

術日が決まる

検査の結果が全て出揃った。肺、肝臓、腎臓、骨などへの転移は(画像上は)ない。確率30%はとりあえず回避。

術日は23日か30日。いずれも2日前に入院しなければならない。

23日だと仕事の引継ぎ(こんなときまで仕事かいな)も未完了、最大の懸案事項である母親への説明、説明後に予想されるドタバタを引きずったままの入院となりそう。暦も仏滅。プラモデルも製作途中。ということで、30日に変更してもらった。

帰宅後、「やっぱ23日にすればよかったかな~」と愚痴る私にY君が一言。「23日にしてたらしてだで“やっぱ30日にすればよかったかな~”とか言っているはず。前の病院でも26日の週に手術と言われてたのだから、予定通りでしょ。」

はい。ごもっとも。Y君、私の性格をよく知ってる。

はかちゃんから入院時の心得について説明を受けた。入院すると、同じ病室に、再発した人や転移した人、自分のようにこれから手術という人もいる。そういう人をみて「自分もああなるんだとか」比較して考えないようにと。

この意味、入院してから本当によくわかった。

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2004年7月14日 (水)

検査漬け(PARTⅡ)

CIMG0100 検査漬けの1日。エコー(乳腺・甲状腺・腹部)、マンモの検査を受けた。

エコーは前の病院で「これが正常な乳腺、これがおかしなところ。」と画像を見せられたときのショックがトラウマになっていてどうも苦手。相性が悪いのか、延々40分にも及んだ。

これは、後で結果を聞いてわかったのだが、左の鎖骨に微細なしこり・腫れがみつかったためだ。病巣は右側なので、検査の人が「左にあるなら右にもあるのに違いない」と躍起になって探してくれた。そのおかげで、40分という時間に。他にも検査しなきゃいけない人がいただろうに、ありがたいことだ。

結果はシロ。ちょうどその頃かぜをひいていたので、その腫れが写ったのでは?という結論。

疑いがぬぐいきれず、弱音をY君にこぼすと「そんなに悪いわけない!」と珍しく大きな声で一喝。ちょっぴり勇気がでた。

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2004年7月12日 (月)

検査漬け(PARTⅠ)

CIMG0135 生まれてはじめてCT、MRIという画期的な検査を受けた。

CTは造影剤を体に入れながら、体の輪切り写真を撮るもの。「注射で入れながら」というのがミソ。お腹の奥のほうから暖かいものがわいてくる感じがする。すごーく嫌な感じ。

「気分はどうですか?」と聞いてくるから「気持ち悪いです」と答えると、「もう少しだから我慢しててね。」どがっ!!じゃあはじめから聞いてくるな!!

MRIは朝1番に注射(放射線がはいっている)をしたあと、液が全身に周るのを待ち、午後、30分程おかまに入る。癌の骨転移を調べることができる。画像はガイコツ君。

MRIの注射待ちをしている間、某宗教団体の会員の方と出会う。「数値が良いのよ~」と入会を誘われる。これからもこういう手合いは増えるんだろうか。宗教は必要だと思うけど、何を信じるかは自分で考える。

検査でショックだったのは、痛さを我慢してあけたの軟骨ピアスを外さなければいけなかったこと。せっかく苦労したのに。それと検査費用のばかっ高さ!会計のお姉ちゃんに「28000円です。」って言われたときには「すみません。銀行へ行ってきます。」と返事。前のおばばなんか170円だというのに。

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2004年7月11日 (日)

告知の仕方

NEW癌の場合、手術を受けることでボディイメージが確実に、大きく変わるので、癌の告知に関しては、他の部位でのそれと比べて進んでいる。

実際に自分が告られて、そのときに感じたことを整理する。

告知をすることは良いことだ。初めはショックだし、怖いが、正しい情報を得ることで自分の生命を、自分の意思で考え、判断することができる。自分の人生に対して主体性と責任感を持つことができる。これは人間の尊厳に関わることだ。

ただし、告知をするときには、同時に、患者に「希望」を与えることが重要だ。つまり、「あなたの現状はこうです。でも、こんな治療方法やあんな治療方法がある。将来的には新しい治療方法が開発されるかもしれない。一緒にやっていこう。」と力強く言って欲しい。そうすれば患者は癌であると言う事実を受容することができる。

私は、検診した病院で告られたわけだが、ここでは厳しい顔をしたまま、事務的に処理されただけだった。「希望」を全く与えられなかった。ところが、はかちゃんは違った。希望を与えてくれた。治療に前向きに取り組む気持ちをわかせてくれた。冗談には冗談で返してくれた。

日本ではまだ告知しないままのケースが多い。もしくは、インフォームドコンセントの考え方だけが先行して、患者の気持ちが置き去りにされたままのケースが多い。要は、「告知すべきか、しないべきか」ではなく「どう告知するか」かが重要だ。

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2004年7月 9日 (金)

温存か全摘か

10年前のNEW癌手術といえば、全摘+筋肉切除+リンパ節切除の3点セットが当たり前。私の叔母も、術後、靴がうまくはけなかったり、荷物がもてなくなったり、大変な苦労をしていた。

現在は、温存も全摘も、予後に大差がないということで、条件があえば選択できる。ただし、腫瘍の大きさが3cm以下、多発癌ではないことが条件だ。

私の場合はできた位置が悪かった。乳首のすぐ下。NEW癌患者の2割にしかいない位置で希少種。

術前の説明ではかちゃんは、「残念ながら温存は・・・」と言っていたが、本人はさばさば。「あ、温存ははじめから考えていませんから。」

乳房をとることで、女性としての喪失感を味わうことがあると言われた。また、水泳をやるなら裸になる機会も多いし、周りの視線が気になるだろうとも。(←これはあとで本当にそう思った。水着になったとき、つい右手で右胸を隠している自分がいる。フィットネスクラブのお風呂も入ったことがない。着替えにも気を使う。)

だが、私は、自分の乳房が癌の象徴のようにみえてならなかった。みたくなかった。さわりたくなかった。消えて欲しかった。だから全摘にはなんの抵抗もなかった。再建もし易いし。

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2004年7月 8日 (木)

はかちゃんとの出会い

予約時間の11時、病院へ義妹と連れ立って行った。中待合でまっている間、先生の声がドア越しに聞こえてくる。

「うん?いい感じじゃない?ひょっとして当たり?」

検査でひっかかって以来、今までひいた阿弥陀くじは全て悪い方、悪い方ばかりだった。ここではじめて良い方を選んだ気がする。

中から呼ばれてはじめて会った。先生は私の目をじっと見据えたまま、「君、今ものすごいストレス感じているでしょう。命にかかわる重要な話を5分や10分じゃできない。いえも近いみたいだし、良ければ午後もう一度こないか?」

ありがたい。心底思った。

午後、再度出直し。先生は、NEW癌の成り立ちや進行、手術方法、術後療法、後遺症など、延々2時間半、レポート用紙4枚を使って説明してくれた。

もうこの先生でいいや、と思った。看取ってもらうのはこの先生しかいない。この先生でダメだったら仕方がない。診察が終わり、晴れ晴れとした気分の自分がそこに居た。

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2004年7月 6日 (火)

告知

右NEW癌。これが私の病名。その瞬間から私は癌患者になった。

ひょっとしたら良性かも?という夢はもろくも崩れ去った。「残念ながらクラス5の悪性ですね。」あら、告知ってこんな簡単なの。病理カルテを覗き込むと、「粘液状の膜の中に悪性細胞が多数集結」なんて恐ろしいことが書かれている。

病理でいう「クラス」を「ステージ」と勘違いした私は頭を抱え込んだ。「ステージ5か。終わったぜ」。夢の中にいるみたい。Y君のひざの上に突っ伏し、頭を抱えた。覚悟はしていたので涙はでなかった。「がーん」といった感じ。

頭を抱えながら、「ん?まてよ。ステージ5なんて聞いたことないな。」先生に確認すると、細胞針の結果はステージ1~5で表記され、1は良性、あとは数字が高くなるにつれて悪性度が増し、5は完璧な癌。なんだびっくり。これで気が抜けた。前向きモード入力。

手術方法について先生が説明をはじめたのを遮るように転院を願い出た。

NEW癌の治療はこの先10年は通院が必要になることをネットで知った。病院は自宅から近い場所のほうが良い。

T先生のだらしなさ(白衣の着こなし方)も嫌だし、病院の立地も嫌。できれば、ネット上で、「乳腺外科医が薦める乳腺外科医」として名前があげられていた、O病院のH先生に診てもらいたい。

「H先生ってご存知ですか?」「知らないなぁ」先生はH博士を直接知らないとのこと。ネットで、そういう場合でも紹介状は書いてもらえることがわかっていたので、プリントアウトした紙をみせ、「こういう名前の方です」と指示、紹介状を書いてもらった。

エコーやマンモの画像、細胞針のプレパラート、全ての結果が入った紙袋を手に病院を後にした。途中、Y君と院内の喫茶店でコーヒーを飲む。「ま、予想通りだわ。仕方がないね」「うん。大丈夫だから」「ありがとう。いろいろ迷惑かけるね」「いいよ。頑張ろう」。

駅に向かうとちょうど朝顔市があったのか、手に植木鉢をもった人が歩いている。今までなら声をあげるところだが、そんな気が起きない。Y君と別れ、一人で山手線に乗り込んだ。「自殺するときの気持ちってこんなんかなぁ。んま、まだ死ぬと決まったわけじゃないし、みんな応援してくれてるし、それに応えなきゃ!」

ぼーっと車窓からの風景を眺めた。風景が違って見える。「ねえみんな、私、癌なんです。」電車の中で思いっきり叫びたくなった。

家に帰り、まず最初にO病院へ電話。すると、「H先生は3ヶ月先まで予約でいっぱいです」との返事。真っ青。私の尋常ではない雰囲気が電話越しに伝わったのか、「明後日いらっしゃれるなら、11時の枠に入ることができますよ。そこで先生とお話をしてみてはいかがですか?」あんだよ姉ちゃん、初めからそう言えっつーの!寿命が縮んだぜ!

とりあえず、道はつながった。明後日、どうなるか、楽しみだ。

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2004年7月 1日 (木)

エコー

午後から超音波検査。手続きを済ませたあと、廊下で2時間近く待たされた。緊張はピーク。次々と人が呼ばれ、検査室へ入っていく。最後の3人になったところで、ようやく名前が呼ばれた。

胸に温かいゼリー状の潤滑液を塗られ、検査がはじまった。「先生、やっぱり癌かなぁ?」と問いかけても「う~ん」と言ったまま答えてくれない。しばらく検査を続けたあと、「ちょっとみてみる?」見たくないけれど、そういわれると断れない。「これが正常な乳腺、これがしこりのあるところ」と言って画面をみせてくれた。その部分だけ、ぼんやり黒い空洞ができている。「念のため、細胞検査をしましょう。もう一度呼ぶまで廊下で待っててください。」

名前が呼ばれるまで廊下で待っていると、私のほかにもう一人おばさんが座っている。顔は真っ青。「いっしょかぁ~。なんだか全部悪いほう悪いほうと進んでいるなぁ」。さらに1時間ほど待たされたあと、名前を呼ばれて中へ。太い注射針ついた機材を持ってきてその場でブスリ。2回ほど痛みがはしった。

洋服を着ながらもう一度「やっぱり癌ですか?」と尋ねた。先生は腕組みをしてしばらく考えた後、「普通、悪性のしこりって、もっと石のように硬いんだよね。触っただけで、みるからに“悪い”っていう感じが伝わってくるんだよ。でもね、君のは柔らかいんだよね。“しこり”っていう感じじゃなくて、なんか溶けかけの“グミ”のような感触。癌の場合は、触ったときがっちり固まって動かないんだけど、君のは良く動くんだよね。ちょっと今までにない感触なんだよね。感触だけでは悪性とは判断しかねるんだよね。まあ、細胞針をやれば結果ははっきり出るから。下で外来の手続きをして帰ってね。」そういわれてフラフラと帰宅。

エコーの画像が頭から離れず、Y君に「たぶんクロだわ」メールを送ると、すぐに返信が入る。「大丈夫だから落ち着いて」。落ち着いた。

その夜、帰宅したY君にすべての結果を報告。「まあ、細胞検査の結果がでるまでは気にしないで。結果がでてから考えれば良いんだから」。それでも、夜、このまま眠りに落ちるのが怖くて、ほとんど眠れなかった。

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