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2005年1月

2005年1月29日 (土)

更年期障害

病院で「更年期障害について」講演会があった。

更年期障害まっしぐら、癌友大集合した。

女性ホルモンは35歳前後がピークで、あとは序々に下降すること。初経の年齢にもよるが、45~55歳に閉経すること。

女性ホルモンを摂取する人がいる、その一方で、女性ホルモンが命を脅かす原因になる人がいる。ホルモンというのはやっかいなものだ。

講演で面白い言葉をひろった。

「生殖可能期間を終えたら死んでいくのが動植物の宿命。過ぎても生きているのは人間ぐらい。」なるほど、やはり人生60年。

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2005年1月25日 (火)

生理が復活

抗がん剤にやられ、乱れきっていた生理があっさり復活。癌細胞が増えた気がして嫌。落ち込む。

いっそのこと卵巣を切除したい。モロッコにでも行くか。

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2005年1月24日 (月)

某国営放送デビュー

某国営放送で特集している「がんサポートプログラム」。

病気になるまでは医療問題はスルーパス、全く無関心だった。ところが、病気になってみてびっくり。

「日本の癌医療はこんなに遅れているんだ!!」

私はこの番組をきっかけに、いろいろなことを学んだ。

  • 抗がん剤の未承認薬
  • 混合医療
  • 医療費の高さ、社会補償
  • 情報不足
  • 地域間差別
  • 専門医の不足(腫瘍内科医を含め)
  • 癌難民  など

今まで税金たっぷり搾り取られてきたのに、病気になったとたん「運が悪かったのね」と「生存権」という基本的人権を剥奪される日本の医療制度。

抗がん剤で全ての癌が治るとは思えないし、ただの延命行為なのかもしれない。でも、欧米での標準治療薬がどうして未承認(保険適用外)なのか?治験や認証のスピードは何故あがらないのか?

抗がん剤のリスクは承知している。でも、他に道がないのなら「生きる選択」の幅は増やして欲しい。副作用に関するインフォームドコンセントを受けた上で、それでもその治療方法を自分で選択したのなら、それしか生きる道がないのなら、たとえその薬が原因で死んでも納得できる。でも今の医療制度ではそれすら選択できない。

海外なら生きられる、日本ならダメ。「生きる命が失われている」。これが日本の癌医療の現状だ。こんな不公平なことはない。しかも、そうした国の制度に反対している人は、みな癌患者本人だ。健康な人は無関心。1ケ月の薬代が150万円!家族に迷惑がかかるからと、治療をあきらめて命を手放す人がいかに多いことか。

癌は、働き盛りの世代を襲う病気。治療費を払うために働かざるを得ない人だってたくさんいるだろう。なぜ、老人医療並みに保険が適用されないのか?生活保障は?

腎臓病の人や精神病の人たちは、自分達で患者の権利を勝ち取ってきた。癌患者はどうだ?どうせ消える命は見捨てられるのか?

こうした問題を考えるきっかけを与えてくれたのが、某国営放送の「生活ほっとモーニング」だった。NEW癌のM村さんの行動をTVでみて、私にも何かできることがあるんじゃないかと考え始めた。

その行動の一歩として送ったメールが番組の中で紹介された。病気になったこの経験を無駄にはしたくない。

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2005年1月21日 (金)

確定申告

人生初の確定申告。

税務署へ行くのも初めてなら、こんな書類をだすのも初めて。でも指導員の方がやさしくて、無事に受領してもらうことができた。

これからは毎年申告だ。

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2005年1月20日 (木)

メールデビュー

生活ほっとモーニングというNHKの番組中で、私が送ったメールがテロップでながれされた。びっくり。全国的にカミングアウトだな、これは。

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2005年1月18日 (火)

癌友喪失

メールを開いてびっくり。大学時代の恩師の奥様が胃癌で亡くなったとの知らせ。

奥様は13年前にNEW癌になり、今回が2度目の癌。いつも必ずくる年賀状が来ないので、どうしているのか心配だった。再発癌は孤立しがちなので、私がこんな状態でなければ、いっしょに励ますことも可能だったに違いない。

ご冥福をお祈りします。

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2005年1月15日 (土)

化学療法6回目(最終日)

DSC00193ようやく終わった。もうこれで病院に帰ることはない。ないようにしたい。

看護師さんたちには本当にお世話になった。はかちゃん、ときちゃんも。私の命を救おうと努力をしてくれた全ての人に感謝したい。ありがとう。

たくさんの人に助けられ、支えられてきたこの命。先のことはわからないけれど、精一杯、1日、1日を大切に生きていこう。

生きる。生きよう。生きてやる。

朝焼けがきれいだけれど、2度とこの窓から見たくない。

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2005年1月14日 (金)

化学療法6回目(8日目)

1014 退院は明日だが、検査は今朝実施。無事に合格。これで6回全てパーフェクト退院。

  • 白血球数2800
  • 赤血球数383
  • 血小板24.3

午後、癌友のKさんが抗がん剤ラスト祝いにきてくれた。彼女は、外来で、リンパ節切除数の違いは?胸腺のリンパ節転移の可能性は?など、疑問に感じたことを全て質問しているらしい。

リンパ節切除の数の違いは私も興味があった。癌友の中では、私が切除数最大で22個!ついでKちゃん15個。IさんやKさん、Mちゃんは6個。何ゆえ、人によって6~22個も開きがあるのか、とても不思議だった。

Kさんの話では「腫れているリンパ節をとる」とのこと。つまり、私の場合、22個もリンパが腫れていたということ。

今から思い返してみれば、水泳で無駄毛の処理をするとき、右側の方が処理しやすかった。これは要はリンパが腫れていたからなのだ。「リンパ君、みんな集まれ~」の掛け声とともに、増殖する癌細胞を必死になって消化活動していたのだ。ありがとう、リンパ君。

胸腺へのリンパ節転移は「めったにない」とのこと。まあ、先のことを心配しすぎても仕方がない。今は今のことを考えて一生懸命生きていこう。

今夜は最後の夜。十分に堪能しよう。(←何をだ?)

検温(朝)36.2度(昼)36.6度(夜)36.5度

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2005年1月13日 (木)

化学療法6回目(7日目)

半年点検は無事に終了。そりゃそうだ、抗がん剤やっているのだから。

今後の治療方針は、

  • ノルバデックス(錠剤)を5年間、毎日1錠服用
  • 血中女性ホルモン量をチェックし、多ければ、ゾラデックスを2年間、月1回注射。
  • 半年に1度、腫瘍マーカー、腎臓機能、肝臓機能のチェックを目的とした採血を実施
  • 半年に1度、反対側の乳腺、甲状腺などのエコーを実施

ということになった。

よくわからないのが、このホルモン療法。NEW癌は女性ホルモンに反応して増殖してしまうため、女性ホルモンの分泌をとめなければならない。

ゾラデックスは、脳の下垂体に作用し、女性ホルモン分泌命令をシャットアウトしてしまうもの。強制終了、閉経モード突入だ。

一方、ノルバデックスは、ホルモンを取り込んで増えようとする癌細胞表面のかぎ穴を、先回りしてブロックしてしまうもの。アレルギー性鼻炎の薬と同じような作用。シベロンブロックだ。

私はホルモンリセプター50-60%の陽性反応。ホルモン療法が有効となった。だが、

  • 女性ホルモンなんて、2年たっても現役バリバリ。閉経の年齢まで続けなければいけないのでは?
  • 5年間ホルモン療法を行うことで、癌細胞は死ぬのか?
  • DNAテープのバグは治っていない。大丈夫なのか?

という点については、何回説明を聞いても納得できない。

  • 2年やっても殺せない癌細胞は5年かけても無理
  • 臨床結果が変わらない
  • 子宮癌など他の病気の発症リスクが高まる
  • 経済的な負担

などが背景にある。でもいったん目覚めたDNAバグ、テープ自体の書き損じを直さない限り、根本的には治らないだろう。

そもそも癌の「治癒」って何?どういう状態?今の私は60兆個ある自分の細胞に自信が持てない。もう少し自分でも勉強をして、じっくり考えていきたい。

面談前に抗がん剤9回のMさんが病室に。来月手術することになったが、温存か全摘かで悩んでいる。術後の状態(後遺症など)についていろいろ聞かれた。Mさん、人にはいろいろ聞いてくるが、自分のことは一切しゃべろうとしない。どうも苦手だ。

検温(朝)36.4度(昼)36.4度(夜)36.6度

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2005年1月12日 (水)

化学療法6回目(6日目)

新しく2人の患者さんが入ってきた。白内障のおばばとNEW癌の人。

この白内障おばばが最悪。人の会話に割り込んでくる。手術前で目が使えないため、テレビも雑誌も見ることができないからだ。ベッドは離れているのに、食いつきよすぎ。そのため、今朝からおばばを視界に入れないよう、カーテンの開け方を変えた。公共性のない人間は嫌いだ。

もう1人のNEW癌のGさん、とっても良い人だ。2年前に手術(術前抗がん剤2回、術後抗がん剤4回)をしたが、肺に転移。抗がん剤を受けるために入院した。

昼食時間中、担当のK内医師に呼び出され、病状の説明があった。暗い顔をして帰ってくる。

「進行がとても早く、治療が大変と言われた」と落ち込んでいる。「ホスピスも探さなきゃ」と。

このK内先生のインフォームドコンセントのやり方に私は憤慨。何故、家族を同席させないのか?こんな話を、本人の口から家族にまた言わせるのか?転移の告知は意味が重い。なぜ、それがわからないのか?医師としての資質に疑問を感じる。

Gさんの癌はHERⅡに陽性反応を示しているので、新薬ハーセプチンを使った治療を行うことになった。私も本で読んだことがあったが、実際にホンモノを見るのは初めて。「治療費がかかることも覚悟してください」と言われたらしい。

午後から点滴が始まったが、あまり大きな副作用もなく終了。ふたりでほっとした。あんなに良い人が、どうしてこんな目にあっているのか。不条理だ。最小の副作用と最大の効果を願うのみ。

※明日19:00から、半年点検の結果と今後の治療方針の説明会あり。

検温(朝)36.5度(昼)36.6度(夜)36.7度

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2005年1月11日 (火)

化学療法6回目(5日目)

CIMG0142 目覚まし時計は、ひでじ=のうがい。コアコアまでやってるし。癌友のIさん、本日白血球数2300で無事に退院した。おめでとう。ひでじーの物まねを一緒にやってくれる人がいなくなって寂しいよ、オレ様は。

あいにく私は検査漬けの日。MRIの注射に手間取り、病室へ帰ってきたのは昼近く。その間、Iさんはずっと待っていてくれた。そして、はじめてIさんの母上とお会いした。

「大丈夫だと思っていれば、大丈夫よ。みなさんも大丈夫。」

よく人に「頑張れ」と言って励ますことがあるが、病気をしてから、この言葉の薄さや他人事のような感じが大嫌いになった。

阪神淡路大震災のときに、同じような意見を聞き、「そんなもんかな?」と軽く考えていたが、こんだけ頑張って「まだ頑張らなければいけないのか?」「頑張ってなんとかなる病気なのか?」という天邪鬼的な考えが浮かび上がってくる。

反対に心が落ち着いた言葉は「大丈夫だよ」

健康だったときはあんまり使ったことがない言葉だったけど、不安な気持ちのとき、落ち込んでいるとき、ふと「大丈夫だよ」といわれると、心がやわらぐ。大丈夫じゃないかもしれないけど、大丈夫だと思えば大丈夫なのだ。

娘が癌になった親ってどんな気持ちなんだろう。

Kさんのお母さんも、入院のたびに静岡から出てきていたし、うちのママも記憶をとばしていた。これ以上心配をかけさせたくないので、今後の目標は「親より長生きする」だ。

CTを受けようとしたとき、「よおっ」と腕をたたく奴がいる。「誰やねん?」とみると、なんとはかちゃん。なんでこんなところにいるの?びっくりしたよ。おかげで造影剤のもやもや感が少しまぎれた。その後、留置針のままMRIの注射へ。

以前から気づいていたが、このMRIの技師の中に仕事のできない奴が1人いる。なにせトロイ。自信の無さが態度に表れ、上司の顔色を伺い、ビクビクしている。ネズミみたいだ。

今回も、そいつが注射の発注を間違え、10時からの予定が11:30過ぎに。留置針があるので、着替えたくても着替えられず、ずっとMRI室で待たされるはめになった。あふぉ!

ようやく届いた針のケツには「脳」の字が。あふぉ技師、ぱにくって「骨」のラベルと「脳」のラベルを取り違えたらしい。

「これは“脳”ってかいてあるけど、中身は本当に“骨”なんだろうね!大丈夫なんだろうね君!」と上司に一喝されている。すったもんだのあげく、ようやく終了。午後1時からのお釜入りとなった。検査は精神的に疲れる。

検温(朝)36.3度(昼)36.1度(夜)36.5度

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化学療法6回目(4日目)

CIMG0097 今朝もひでじーのうがいで目が覚めた。卒倒しないか心配。

癌友大集合。620病棟のIさんと私の病室へ、610病棟の3人(Nさん、Kちゃん、Nさん)、見舞い客としてKさん、Mちゃんが加わり、総勢7人で病院新年会&抗がん剤終了記念会を開催。

見舞い客Kさんの差し入れ、イチゴ、お菓子、ケンタなどをみんなで食べ、副作用をぶっ飛ばした。私も昨日までの吐き気がどこかへ飛んでいった。

明日になると、また新しい患者さんが入ってくるだろう。こんな機会はめったにない。

こんな病気にならなかったら、巡り合うこともなかった人たち。人の縁に感謝したい。大切にしたい。

検温(朝)36.6度(昼)36.4度(夜)36.5度 夜もテレビ、見放題。

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今日の夕食

病院食より美味しいスパ王。051112171756.jpg

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2005年1月 9日 (日)

化学療法6回目(3日目)

CIMG0139

入院以来、毎朝、ひでじー(←“ちびまるこちゃん”のひでじーにそっくりな爺)のうがいで起こされている。おかげで目覚めが悪い。あんなに大声はりあげてうがいをしなくても良いのに。

3日目になってもまだキモイ。午後から少し喪があけてきているけど。。。喉ヤケ、胃のつっかえ感、もたれ感が残っている。頭痛もヒドイ。身体は吐きたいのに薬で強引に止められている状態。最悪。

病室はうるさいおばばが2人退院し、癌友Iさんとの2人部屋。無法地帯に。

「最後の入院だから」と、看護師さんたちと記念撮影しまくり。回診でくる人を捕まえて、片っ端から撮影。

「半年間、長かったですねー」と言われて、本当だと思った。でもそれを支えてくれたのは、看護師さんたちの明るさだったと思う。

610病棟8号室も同じ無法地帯状態に。癌友Nさん、Kちゃん、新メンバーNさんの3人部屋。今回はサブメンバーとして大腸癌のOさんが新しく加わった。だいぶ落ち込んでいたらしいが、Nさんと仲良くなって、心が上向きに。家族に感謝された。

癌という病気は治療期間が長くなるので、人の輪も、自然と広がっていくのが面白い。

検温(朝)36.5度(昼)36.5度(夜)36.3度 氷枕をもらう

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2005年1月 8日 (土)

化学療法6回目(2日目)

初日の夜一睡もできないのは毎度のことだが、夜中に吐いた。食べ物が入っていないので胃液しかでてこない。その胃液が気持ち悪くてまた吐いた。んで口の中が気持ち悪くて水を飲んだらまた吐いた。3連続GERO。さすがに6回目、結構きてる。

水を飲まなくちゃいけないけれど、その水すら飲む気になれない。ベッドの角度は30度Keep!フラットGEROはさけたい!

抗がん剤は心肺機能にも悪影響を与えるので、前回同様、2日間は心電図つき。吐くと心電図の波長が乱れるのか、ふらふらトイレから出たところで、イチ押し看護師・なるちゃんが駆けつけてきてくれた。ありがとうよ、なるちん。

今回は頭痛もヒドイ。ズキズキひびく。頭の中で鐘がゴンゴンなっている。明け方、看護師さんがぶっ飛んでくるから「なんだろう?」とか思っていたら、コードが抜け、死んでる状態になってたらしい。発信機を腰に挟んでいたら、落っことしそうになるし。なんとかしちくれ。

今まで私は、食欲がないのは病院の食事に飽きたからだと思っていた。今回、それが、「飽きた」のではなく、「食欲が落ちていたのだ」ということに気が付いた(←おせーよ)。今までの胸焼けも、全て副作用だったのだ。

フタをあけただけで、イヤーな匂いが嘔吐気分にさせてくれる。絹さやの茹でた匂いが最悪。ブロッコリーも。「かかあえ」とかいう、茹でたもやしに鰹節がかかっただけの食べ物・・・、吐き気がこみあげてくる。いっそのこと、グラタンとかシチュー、カレーなど味の濃い食べ物のほうが勢いで食べられそう。薄味なのが致命的。

入院生活で私が嫌いになった食べ物。

  • ブロッコリー(冷凍ものは勘弁)
  • ホワイトアスパラガス(あのぐちゃどろ感が×)
  • かかあえ(人間の食べ物なの?)
  • たまご豆腐(1丁食べるか?)
  • 中途半端な酢の物
  • やきそば(量が尋常じゃない。食いづまる。)

化学療法は3~4週サイクルで入退院を繰り返すので、病院食も毎回同じメニュー。献立表をみなくても、次に何がでてくるかわかる。同じだから。もう少し考えて欲しい。

検温(朝)37.0度(昼)36.6度(夜)36.5度 サンカマ最高!快便23面相だぜ。

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2005年1月 7日 (金)

化学療法6回目(初日)

DSC00138 いよいよ最後の化学療法。半年間、長かった。

点滴の針は、手術で主要な医師が不在だったため、よりによって★院長のW氏。ロレックスをはめた腕で、どの血管が良いか、私の腕を雑巾のようにしぼりまくる。どうみても、立場上、点滴の針さしなんてうん年ぶりのはずだ。血管焼けで難易度高いというのに。

下っ端医師だったら、失敗しても上司HELPができるけど、最上層のWじゃあ、メンツにかけても成し遂げなければならない。なんでこんな奴を呼んできたんだ。看護師Sさんは、かわいいのだけれど、時々、こういった大ポカをやってくれる。

「いてーんだよ、このあふぉが!手荒く扱うな!」

って言ってやりたかったけど、我慢した。血管痛でボロボロになった左腕。ものがふれただけでも痛いのに、しぼるなっつーの。あふぉ!

普通、血管に点滴針をさすときは、血液の流れを考え、下流から(末端)さがし、失敗すると上流へあがっていくのが基本。そんなん私でも知っている。手首から肘、上腕の順だ。

ところが、このW。いきなり肘からはじめようとする。「絶対に違う。間違えてる!」と心の叫び!警告音が鳴りっぱなし。

「あのぉ、いつもT先生は手首のあたりでとってくれるんですが・・・?」プライドを傷つけないように言ったが、もう耳に入っていない。「先生、少し休まれてから・・・」看護師Sもフォローするが、あっさり無視。そして失敗。予想通りの展開。

Wは、まるで私の血管が悪いかのように言い放ち、上腕を右へ左へしぼり始めた。腕にはしる激痛にブチギレ寸前。蹴り倒そうかと思った。しばらく3人のやりとりをみていた対岸の癌友Iさんも、いたたまれなくなって病室から出て行く。

「もういいです。足にしてください。お願いします。」とうとう、最後は足になった。

はかちゃん回診時、ことの顛末を伝えると、おもむろに私の腕を触り、「そうかな~、ここでも、あそこでも取れそうだけどな~」点滴針ノイローゼにトドメをさしたのは、Wだ。最低。

抗がん剤は毎度おなじみのCEF定食。

  1. デカドロン・・・ステロイドホルモン・アレルギー反応や炎症を抑える(10分)
  2. カイトリル・・・吐き気止め(10分)
  3. ファルモルビシン・・・抗がん剤(15分)
  4. 5FU・・・抗がん剤(60分)
  5. エンドキサン・・・抗がん剤(60分)
  6. カイトリル・・・吐き気止め(10分)

検温(昼)36.4度(夜)36.4度 

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2005年1月 4日 (火)

訃報

DSC00225 旦那のおじさんが肺癌で亡くなった。残念。葬儀は入院中で出席できず。

ご冥福をお祈りします。

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