訃報とボタ
金曜日、帰宅後ポストをあけると一通の手紙が。
喪中葉書?
苗字をみてもだれだかわからなかった。
文面を読むと、2回目の化学療法からずっと一緒だった、Oさんの訃報を知らせる葉書だった。
驚いた。
とても悲しかった。
大腸癌だった。
はじめて会ったとき、ベッドが隣同士になり、「化学療法をはじめて受けるので、緊張している」と言っていた。
私は2回目の投薬だったので、「大丈夫。私も今日から点滴だから一緒に頑張りましょう」と言葉をかわした。
同室のメンバーともすぐに仲良くなり、「次回からもきゃんべる。さんと、同じ治療日にして!」と担当医に話し、都度、その通りになった。
さっぱりした性格の方で、私が先に化学療法を終えると「さあ、もう病院なんかに戻ってきちゃダメよ」といって背中を押してくれた。
友人Nさんの調子が悪くなり、何度か病院へ行ったとき、顔見知りの看護師さんから「Oさんが大変なの。励ましてあげて!」と言われ、半年ぶりに再会した。
もう化学療法は終わっていたと思っていたのに。
以前のまま、綺麗だった。
でも、車椅子にのっていた。
「私、車庫いれ、上手いのよ!」
病室内にある狭い隙間にバックでうまく入れ、とても自慢げにしていた。
「足がおかしいのよ。」
浮腫んでぱんぱんになった足をみせてくれた。
「でも、大丈夫。車椅子があれば動けるし、痛みはないの。」
手で温めてあげたらとても喜んでくれた。
本当に喜んでくれた。
帰り際に言われた。
「きゃんべる。さんは、もうこんなところに来たらいけない。お見舞いにくる時間があったら、自分が生きることに使いなさい。私は大丈夫、負けないから。」
これが最期の言葉になった。
心配で、心配で、何度もメールで「体調はどう?」と聞きたかった。
でも、そう聞かれる、聞くことが、お互い1番辛いことを知っていた。
だから、年賀状を待っていた。
本当に待っていた。
「今年は家で過ごしています!」
そんな葉書が届くのを待っていた。
でも、届いたのは喪中葉書だった。
6月に亡くなったと書いてあった。
Nさんと同じ月だ。
ひょっとしたら、別の部屋に入院していたのかもしれない。
近いうちに会いに行こうと思う。
年賀状をもって。
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そんな気持ちを引きずったまま、ボタに行った。
今日ははじめての園芸作業だ!
http://botakids.com/katudoukiroku1125.html
みんなの笑顔が嬉しかった。
いつもにも増して輝いて見えた。
Oさんにもお孫さんときてもらいたかった。
また、ひとり、間に合わなかった。
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私は今生きている。
そしてみんなも生きている。
ありがとう。
最期まで頑張ろう。
人はいつか死ぬものだから。
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コメント
なんて悲しくて辛い日でしたね。人間いつかは「死」を経験するんだね。今、たった今を生きていられることに感謝。
投稿: メリー | 2006年11月27日 (月) 20時40分
悲しい気持ちを抱えながらのボタの活動、お疲れ様でした。
Oさんはちゃんと空からきゃんべる。さんの活躍を見守っていらっしゃると思います。
きっと素敵なかた方なのだろうと、文面から想像させてもらいました。
自分もいつか死ぬ・・・恐くないと言えば嘘になるけど、今生きていることを大切に、ありがとうの気持ちで過ごしていきたいです。
投稿: ちゃこら | 2006年11月27日 (月) 23時57分
きゃんべる。さん、、
いろいろ重なって、ちょっとココロがざわざわしてますね。。眠れていますか?
頑張り過ぎていませんか?
偉そうな事を言ってすみません。汗)
マイミクさんから教えていただいた動画(アニメ)です。
既にご存知かもしれませんが、死についてのものです。
逝くもの遺されるもの・・・ 泣けました(ToT)
きゃんべる。さんにも見てほしいなと思い貼りました。
気に障ったらごめんね。
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6468
投稿: オレンジ・みかん | 2006年11月28日 (火) 11時44分
あまり普段はくさくて言えないけれど・・。
皆さんの前だったら、堂々と言えるかも。
みんな一緒に・・ が ん ば ろ う !
投稿: カラカラ | 2006年11月28日 (火) 19時17分