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2007年10月21日 (日)

旅立ちの朝

今朝、Mたんが、秋晴れの大空へ向かって翔んでいきました。

Megumegu

あまりにも早く、そして若い死です。

新聞記者をしていた彼女は、口数は少なかったけれど、書くことは大得意でした。語学も堪能。工程管理も抜けがなく、また、礼節をわきまえた対応、寛容さ。私がちょっとしたことでブチぎれても「どよよ~ん」と受け止めてしまう、本当に素敵な女性でした。

彼女は肺がんの腺がんで3年前に手術を受けました。肺は若年での罹患者数も少なく、かつ、これといった患者会もなかったため、セカンドオピニオン・医療情報を入手するつもりで、私が所属していたJWに入会しました。そして、出会いました。

「JW、若い人がいな~い」と事務局へ言うと「いますよ、なんか企画をたてて頑張っていますよ」と伝えられ、紹介されて初めて会ったのが昨年のつくばRFL。すぐに意気投合し、サバイバーシップや若年のがん患者が抱える社会的な問題について、ともに考えるようになりました。

がん患者に希望を贈りあえるような活動を、自ら、あるいはがん患者、支援者とともに様々な企画と行動をおこしていこう。そして、たとえどんな病気でも全ての人がそれぞれの人生を、自らが望むようなかたちで全うすることができる社会づくりを支援していこうと。

ちょうど私も今までの「がん患者」団体という枠組み、垣根を取り払いたいと考え、ボタキッズの法人化を考えていたところだったので、それならば一緒にと、

希望を届ける企画集団を作ろう!

と、はじまったのがHOPE★プロジェクトです。

ちょうどそんな中、8月の末に体調を崩し、2週間ほど入院をしました。

今まで、何を聞いても自分の病状について語らなかった彼女が、はじめて口を開き、「近未来、HOPE★プロジェクトはきゃんべる。に委ねるときがきます」との前おきの後、大まかな病状を話してくれました。同じがん患者同士、今の彼女がおかれた厳しさを知ることとなりました。でも、現状はもっともっと厳しかったのです。

彼女は、どうみても仕事ができる状況にはないのに、毎日、会社へ通勤しました。彼女の職場は、仕事を誇りと支えに生きてきた彼女から、それを取り上げるのではなく、彼女の姿をあたたかく見守っていました。もともと記者なので、昼間いなくても、また、どんな活動を行っていても、結果として全て仕事の糧になるものという考えもあるようです。そして、10月5日が最後の通勤になりました。

10月7日:HOPE★プロジェクトのスタッフと能城さんを交えて食事をしたときは、本当に楽しそうに笑っていました。でも、そのとき、自宅まで送り届けた友人が彼女の自宅の現状をみて、かなり栄養状態がひどいこと、もう一人では生活できないことなどを電話で教えられました。私たちが聞いていた話は全て彼女の嘘でした。

同時に私は、「心療内科を教えて!」という彼女からのはじめてのHELPメールを目にし、火曜日に彼女の主治医に彼女の生活状況を報告し、とにかく、栄養改善とメンタル面の改善を求めようと画策しておりました例えば、病室から会社へ通うなどの手段です。(みなさん、どうもありがとうございました)。

一方、緩和ケアにも併行して通うよう、いくつかの選択肢を提示しました。その中から彼女は、主治医の元で死ぬ道を選びました。もう何もいうことはありません。私もその気持ちはよくわかります。

10月9日:携帯電話に留守電がのこされていました。

  • 今日からまた入院をすることになったこと。
  • 6月下旬に提出したNPO申請の認証連絡がはいったこと。しかし、若干の手直しがあるので都庁へ聞きに行ってほしいこと。
  • 自分のパソコンが壊れていること(多分、倒れて落としたのだと思う)。

10月11日:外来後に都庁へ行って話しを聞きました。病室へ寄り彼女に、修正点はすくないことを告げて安心させました。なんとかんく悪い予感がしたため徹夜で作業をし、木曜日の明け方、修正版を送りました。

10月12日:認証が発行されたとの連絡。私は仕事で動けなかったので、なんと、岸本葉子さんに取りに行ってもらい(笑)、病室へ届けてもらいました。とりに行くと、嬉しそうな笑顔で迎えてくれました。「あ・り・が・と・う」苦しい呼吸の中から搾り出すように話してくれました。

10月13日:彼女が大好きな医龍の新刊を届けてきました。ドラマの初回も見られたそうです。呼吸は、この頃からかなり苦しげでした。

10月15日:代表者の実印がないと認められないという事実が判明。その日の登記は延期になりました。翌日、私が提出をしにいくため、提出資料の受け渡しをするため文京シビックホールまでいきました。

10月16日:半休をとって、実印をもって法務局へ行きました。もう彼女に残された時間は少ないことはわかっていたので、何としてでも受け取って欲しかった。

ところが、電話での話しとは違い(何度も聞いたのに)、「代表印は入院中の彼女の実印でなければならないこと」を告げられました。

都税事務所、国税事務所でも再度手続きを確認した後、その足で病室へ向かい、御両親に実印の準備をお願いしましたが、印鑑証明と同時に預けることはできないとのこと。当たり前ですよね。

この時点で私は、悩み、諦めました。彼女の夢と思っていたのは、実は、自分達のエゴなんじゃないかと・・・。また4ヶ月間まてばよいのではないか・・・と。

10月17日:病院へ行き、彼女の病状は全て承知した上で動いていること。私は、出会いから今まで、全てを御両親にお話しました。

御両親を心配させたくなかったのか、肺がんが転移をしてから、病状を全く話していなかったため、「病気のことも、こんな活動をしていることも、全くしらなかった」と。そして、一通り説明を聞いたあと、

あなたを信じて、実印をお預けしましょう。

有難くて涙がでました。こんなタイミングと重ならなければ良かったのに・・・。夜は、不足していた資料を作成、何度も提出書類を確認し、横になりました。

10月18日:朝一番で法務局へ。今日、登記ができなかったらもう間に合わない。そうわかっていました。何かあったときには自宅へ帰る準備もしました。そして、提出書類を渡し、大切な実印を押し、あとはハンコの嵐。最後に、「登記受付ました」と。

「今日が、法人設立日ですよね?」何度も念をおしました。係員は不思議そうな顔をして「はい」、「完了日ではないですよね?」、「ええ、今日ですよ」。一緒に同行してくれたNgonとがっちり握手をしました。

他に実印を使う場面がないか、都税事務所、国税事務書、都庁と全て回り、確認をとったあと、病室へいきました。

HOPE★プロジェクトスタートだよ!

と告げたときの彼女の笑顔。私は一生忘れません。入院以来、曇りがちな顔ばかりだったから。本当に嬉しそうでした。

お母様を巻き込んでのバンザイ三唱。帰りもガラス越しに見えなくなるまでガッツポーズ。あんなに喜んでくれるとは、思いませんでした。粘って、粘って、今日、登記をして良かったと本当に思いました。

でも私の身体はボロボロでした。そして、彼女の身体も限界でした。たまたま見た足をみたら、もの凄く浮腫んでいたのです。痛みもあったと想います。

10月19日:行こうかどうしようか悩みました。でも、昨日の様子を見て安心していたし、どうにも私の身体が動きませんでした。この日はそのまま帰宅すると、面会にいった友人から「かなりマズイよ!」との電話。主治医の先生からも携帯へ電話をもらい、土曜日に行く決意をしました。

今日会わなかったことを、あとで、後悔しないように。

10月20日:入院から11日目。病室へ行くと、一昨日とは別人になった彼女がいました。肝機能低下による意識不明。酸素マスク。導尿。耳元で話しかけると、「うん」「ううん」と答えてくれました。御両親にお弁当を差し入れすることを口実に、明日も行くことをきめ、Ngonと分かれました。

10月21日:朝6時45分。万が一を想定し、枕元においていた携帯電話が鳴り響きました。主治医からの電話でした。「ついにそのときがきた」と思いました。

「先ほど、心肺停止。死亡を確認しました」

思いつく先に全て電話をいれ、病院へ向かいました。

到着をし、看護師さんへ話しをすると御両親は「お気に入りの服があるからマンションまで取りに行っている。ひとりぼっちだから、そばにいてあげて下さい」と。

カーテンが閉じられた病室へ入ると、ベッドの上で彼女は眠っていました。昨日の彼女と一緒です。まだ、ほっぺたも、おでこも温かくて、声をかければ「うん」と答えが返ってきそうでした。ただ、唇の色だけは、真っ白でした。鼻に耳をあてていくら耳をすましても、何も吐き出されてきませんでした。

本当に亡くなったんだ。

そう実感しました。苦しまずに逝けたことは良かった。でも、逝くときは一人だったのかな、、、。いろんなことを思い出しました。一人でワインを2本も飲んでひっくり返ったこと、グルメだったこと、いつも重たいカバンを持っていたこと、ラリーのこと、人間力大賞のこと、ベトナムでみた枯葉剤の子供の話し。

のんびり話しをしていた彼女が、そのままベッドに横たわっていました。

HOPE★プロジェクトの仲間が次々とやってきました。みんなで抱きしめました。早くお家へ帰ろう。こんなところにいちゃダメだよ。

御両親が戻ってこられました。私達がいるのをみて、驚いていました。そして、風呂敷をあけると、みんなが思っていた通りの服が入っていました。

「やっぱり、この服だ~」

その後、処置があるため外へ出ると、お父様から後進の方のために解剖をしていただくことにしたと。アメリカなどでは解剖やドナー提供は普通ですが、日本では、なかなか解剖まではいかないことが多いです。ましてや、娘の身体を切り開くだなんて、辛い選択だったと思います。

霊安室へ行きましたが、顔にかけられた白い布を外し、お母様は何度も何度も、おでこをなでていました。そのあとは頬を、何度も何度も、心をこめてなでていました。

「今まで甘えてくれなかった子だったけど、最後は甘えてくれて、少し嬉しかったんですよ」と。

そして、肩にかかった布をめくると肩から背中にかけて、沢山の内出血のしみが広がっていました。「まだ、なくなって何時間もたっていないのにね。こうなるのね」

足をなでながら「海外へ何十回と取材へいったんですよ、この足で・・・」。

最後に、お父様が、般若心経を唱えました。みんなでお線香をあげました。

やっぱり、順番は守らなきゃ、ダメダヨ、Mたん。

御両親に線香あげさせちゃダメダヨ、Mたん。

HOPE★プロジェクトはあなたの意志を継いで、頑張っていくよ。

Photo

本当に、疾走していってしまったね。ありがとう。いつまでも想っています。

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コメント

きゃんべるさん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。彼女は私の中学時代の友人です。連絡を取り合わなくなって長いときが過ぎ、お互いどうしているのかも知らずにいましたが、HOPEプロジェクトで彼女の名前を見つけ、彼女の仕事、病気、活動について知りました。会いたい、連絡を取ってみようとと思いながらも、あっという間に時間が過ぎ、彼女の病状を知ってからは、祈る思いで、毎日、キャンベルさんのHPを開いていました。本当に残念でなりません。ご両親のお気持ちを思うと涙があふれてきます。きゃんべるさん、ありがとうございました。ご自分のお体、休めてくださいね。

投稿: まみくん | 2007年10月22日 (月) 08時41分

きゃんべる。さん、辛かったですね。。。
逝く者の辛さ、残される者の辛さ。

ご冥福をお祈りいたします。

そして、きゃんべる。さん… ハード過ぎますよ。
私のようになってはいけません。ご自愛ください。

投稿: オレンジ・みかん(*^_^*) | 2007年10月22日 (月) 14時11分

Mたんさん、本当に強くて頑張り屋さんで素敵な方だったんですね。
心から心からご冥福をお祈りします。
きっとHOPEの☆になったのかな。ということはずっときゃんべるさんと一緒だね。
そしてきゃんべるさん、本当にお疲れ様、間に合って、彼女にも喜んでもらえて本当に良かったですね。
ぜひ少し休んで下さいませ。私達はMたんさんの分まで生きなくてはね。

投稿: ありすけ | 2007年10月24日 (水) 22時11分

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