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2008年12月

2008年12月31日 (水)

年は越せそう

今日も、先日の劇的な好転を期待していきましたが、反応イマイチ。マーズアタックを受けていたのが気になっていたのですが、やはり、それが少し影響を及ぼしているよう。

しばらく座っていましたが、全く目を覚まそうとしないので、どう起こそうか?起こさずに帰ろうか?さんざ悩んだ結果、挨拶だけして帰ろうということになりました。

まずは、姉が<ね=!>とか<おきて!>とか<●●●●さ~ん>などと呼びかけましたが、目を覚ます気配はなったくなし。

そんなんじゃダメ!と思い、私は、

<ママ!>

と呼びかけました。すると反射的にパチッと目を覚ましました。3人そろっているのをみて驚いた顔をしていましたが、眠いのか、また、すぐに目を閉じてしまいました。でも、改めて、母は母なんだな~と思いました。

看護師さんを呼び、痰の吸引を頼んだついでに、やり方も教えてもらいました。

あとは風邪だけ。これが心配。

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2008年12月28日 (日)

2ヶ月ぶりの会話

仕事納めも終え、昨日、母の見舞いへ行きました。

病室へ行くと、母は爆睡をしておりました。排尿の量と点滴の量・スピードを確認したあと、しばらく、相方とふたりでベッドサイドに座り、寝顔を眺めていました。

規則的な呼吸のリズム。コポコポと音を立てる酸素の音。

眺めているうちに、こちらも眠たくなってきてしまい、うとうとしかかった瞬間、母がぱっと目を開けました。気配に気づいたんですね。しばらく目をぱちぱちさせているので、上から覗き込み、

<おはよう!よく寝てたね!わかる?>

と声をかけると、首を立てに振りました。そして、よく見ると口を動かしているのです!
びっくりして耳を近づけると、

<Yさん・・・・>

相方も一緒に来たのか、確認したかったようです。2ヶ月ぶりに母の声を聞きました。

<うん一緒だよ、一緒>といい、私のめがねをかけさせ、相方が近づくと、安心した顔に戻りました。何か一生懸命、口を動かそうとしているのだけれど、音は聞こえません。

<痛いところはない?肩は寒くない?背中は痛くない?>あれこれ矢継ぎ早に質問しても首をふるだけ。

母は、鼻から酸素を入れていますが、口が開きっぱなしになっているので、絶対に口の中が気持ち悪いと思い、

<歯を磨こうか?>というと。ようやく首を立てに振りました。
歯を磨くと、気持ちよさそうにしていました。タオルでふき、ついでに乾いた唇にクリームをつける終わると、しばらく私たちの顔をみつめたあと、安心したように、また寝てしまいました。

本当に少しづつ、少しづつですが、高カロリーの点滴が効き始めてきているようです。ただ、血液の数値は悪いので、年が明けたら、また輸血をする必要があるそうです。

<年は越せないかもしれません>と言われたのが12月10日。

うそジャン!越せる、越せる!

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2008年12月25日 (木)

クリスマス外来

みなさん、ご心配をおかけしています。みなさんの祈りが通じたのか、母は、なんとか小康状態まで戻ってきました。私も、父も、少し心のお休みがとれ始めています。

11月の上旬は、心不全の状況(カリウム欠乏と胸水が主原因でした)が悪く、予断が許せない状況が続きました。病院からもしょっちゅうお呼び出しがかかり、電話が怖くなってしまったほどです。

その後、11月中旬、一時的に良い状態に戻り、口に持っていけばなんとか食べてくれていました。ところが、ここからが下降線の一途でして・・・。

まず、家族は心の治療を求めましたが精神科病棟がないために、法制度上、根本的な治療計画がたてられません。循環器科か神経科か。どちらも選べない状態でした。老年期のうつは、合併症が多く、治療や見極めが非常に難しいとネットなどに記載がありましたが、本当にそのとおりと実感しました。

また、急性期病院のため、食欲がない=胃がん?、背中が痛い=すい臓がん?と、外科的アプローチの連続。家族も状況をしらないうちに、内視鏡やら何やら山のように検査をされていました。同意書には、かろうじて読み取れる母の字。

判断能力が弱くなっている人間から同意書をとってよいのでしょうか?

家族は、病院に対して不信感を募らせていきました。

普通の人だって、あれだけ集中的に検査をいれられたらぐったりするはず。特に脱水症状のひどさには参りました。
当然のことながら、母は次第に寝ている時間が長くなり、やせ細っていきました。もはや食べ物も受け付けません。

残渣が多いことはわかっているはずなのだから、水分と高カロリーの点滴をして欲しい、、、と幾ら頼んでも、<うちの病院は点滴はしない主義だから>と相手にされず、やがて、母の意識は遠のき、会話もできなくなりました。そして、結果、輸血。

うつろな瞳。
表情の無い顔。

脱水症状はどんどん進み、やがてせん妄をみるようになっていきました。この時点で、また大腸ファイバーを実施。

脱水症状起こしているのに、大腸ファイバー!??????信じられませんでした。

結果、<内臓機能は全て正常>

この答えだけが出て、母はまた危篤状態に陥りました。しかし、<健康>なので<治療>がありません。そのため転院を薦められました。

家族も、この病院においていても、母が望む生き方はできないと判断し、転院希望を申し出ました。しかし、今度でてきたのが、わけのわからない縄張り争い・・・。
医療不信に陥った私は、F病院へ行きました。
そこで、全てのことを伝えてきました。几帳面な父が束ねた検査記録、結果、全てみてもらうと、<他の医師や医療機関のやり方には口出しはできませんが、、、>と前置きをした上で、アドバイスをしてくれました。

転院先の病院へ戻ると、しっかり水分の点滴がされていました。

この医師は信頼できるかも・・・

話をするとしっかり先を見据えた治療計画を提示してくれました。

今の目標は、栄養状態と体力の回復にあること。状態が良くなれば、リハビリを開始。そしてF病院へ転院すること。

そこまで行ければよいのですが、誰が来ているかは認識をしており、質問には首をふることで答えてくれます。会話をするまでには至っていませんが、長期戦を覚悟し、そして母の生きる力を信じて、かつ、母の望みを聞きながら寄り添っていきたいと思います。

という状況の中、私も全身検査です。

今日、血液検査(大流血事件がありました)を行い、9日にお釜いり。診断日は指定された日、相方の都合が悪いので、別の日に変更してもらう予定です。

親の介護と自分の治療。そして仕事。難しいです。

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↑このあと、黒澤明並の大流血事件が起きました・・・(涙)

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2008年12月11日 (木)

無題

ハハキトク。

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