« 我が最愛の友の死 | トップページ | 希望を探して »

2015年10月28日 (水)

突然の電話

5月の上旬でしょうか?ある日曜日の夜、突然電話がなりました。



最初にでたのは旦那。そして、どうも知り合いのよう。「ぼくじゃないの?嫁さんのほう?ちょっとまって、いま、かわるから」といって「池ちゃんから」と受話器を渡されました。






久しぶりだし、どうしたのかな?と思って、「おおおおお、池ちゃん、どうしたん?久しぶりやねー!」と明るく電話にでると、「なおみさん、助けて!お願い、助けて!」と涙ながらの声。びっくり、こりゃタダごとじゃないとおもって、即座に自分の部屋へ行き、「どうしたん?なんか、あったんか?ん?話して。」と聞きました。



「実は、再発をしていてね・・・」、とここで頭をガツンとやられました。聞いてないよ、そんなこと。でもまずは冷静に、冷静に・・・「うん、うん、で?」、、、「薬がもうないの」、「え?」と私も大混乱。「日本では適応外薬の薬しか、もうないかもしれない。これを使ってくれる施設を探しているの。なおみさんなら、知っているかと思って…」



乳がんになったことは聞いていたけど、「治療も副作用もなくて元気」と連絡があったし、大学生のときに卵巣がんもやっていたから、たぶん、がんには注意をして検診を受けていたはず。だから、ずぼらな私と違って、絶対に早期発見なんだと思っていた。再発?薬がない? 意味がよくわかりませんでした。

「何人か知っている先生はいるけど、セカンドオピニオンでいってみる?本当に薬がないの?」というと、もう酔っ払いのように呂律がまわっていなくて、正常な状態ではない。
腰を抜かして「池ちゃん、大丈夫?そっちに行こうか?家、近いよね。顔みて話そうよ。」と言ったところで「ううん、大丈夫、ありがとう。いきなり驚かせてしまってごめんなさい。少し考えてからまた電話をする。また電話をしてもいい?」もちろんOKなので、携帯の電話番号を伝えました。

「いい、落ち着いて、ゆっくり。私も調べてから電話をするから!」



というと、涙声でありがとうとつぶやく声が遠くに聞こえる。
今思えば、このときのSOSは、胸水を3リットルためてしまい、水をぬいた直後だったのではないでしょうか?呼吸苦という症状がでて、再発という事実を症状としてはじめて経験したのだと思います。



その後、何人かの先生にセカンドを聞くために、病歴を教えてもらうと、どうも年数などがあわない。で、確かめて行くと、かなりの薬剤を使っている。これに驚いた私は旦那に聞いた。
「ねー、池ちゃん、再発してたって聞いてた?」と私。旦那は「ん?知らないよ。でも、なんだか入退院は繰り返しているみたいだけど」。



「あーーーーーーーーーーー?何故、それを早く私に言わないの!!言ってくれれば、もっと早くから寄り添えたのに!」



と旦那をしかりつけました。
乳がんって、簡単に治る的な印象で言われていますが、実は3人に1人が再発してきます。そして、再発転移は治りません。5年生存率はよいかもしれないけれど、確実に死にいたる病のひとつなんです。



この日から、毎日、池ちゃんと電話をすることになりました。

« 我が最愛の友の死 | トップページ | 希望を探して »