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2015年10月28日 (水)

選択

10時に約束した病室へはいると、先生はまったく動けない状態で横になられていました。驚いて、「大丈夫ですか!?」と声がでましたが、優しい目で、「大丈夫だよ」と迎えてくださいました。「お話を聞きますよ」と切り出され、池ちゃんから今までの治療歴が語られました。私も全部聞くのは初めてでした。

ふたりの先生はイスに腰掛け、目をみつめてくれながら、一所懸命「うん、うん」と聞いてくれました。この時点で私の涙腺は崩壊。池田も涙を流しながら、一生懸命話をしました。自分の想い、迷いも含めて。「製薬関係の人間がこんなんでいいのかな?と思って」という言葉には、速攻で全員が「そんなことは関係がない」とダメだしをしました。

かれこれ1時間近く、相談を聞いてくれました。いま一番しんどい咳、呼吸の状態をなんとかしようと。それは治療かもしれないし、体力的に無理なら、まずは緩和ケアで体力を整えてからでもいいこと。患者にとって、治療を止めるということは、「見放された」という思いがする厳しい決断でもありますが、そこについても、「池ちゃんの体力と症状にあわせて、希望をききながらやっていきましょう。」と力強くいってくれました。

「治療にはいつか限界がきてしまうことはわかっているよね。そのバランスが難しい状態で不安もあるだろうけど、うちは緩和ケア外来と病棟、そして治療を備えているから、その時点で考えて行けばいいから」そういってくださいました。

池田ちゃんも私もこの時点で涙腺崩壊状態。そして池ちゃんから「ありがとうございます。考えます。本当にありがとうございます。」なにか、迷いがとれたというかすっきりした表情になっていました。そして、部屋をでるときには全員で祈りをささげ、ハグをしました。

こんな話もしてくれました。「いま、池ちゃんは、持っていたたくさんの風船がひとつ、ひとつ、手からすり抜けている感覚がするかも。でも、一番最後に必ず、必ず、大きなキラキラした風船が目の前に降りてくるはず。それを皆んなで掴みに行きましょうと。

あとから聞くと、Y先生はちょうどこの日の朝、入院されたそうで、池田だけの時間をつくってくれました。この日、もし入院していなければ、もし、会えていなかったら、池ちゃんのあの笑顔は完全に消えてしまっていたかもしれません。本当に運命と感謝、神様のお導きというものがあるのかと思いました。

そして、午後から中央での診察へ向かいました。積極的な治療をやめるという決断でした。

15日の9:30-緩和ケア外来で主担当の先生との診察。その後、主担当との診察を重ねました。私は付き添いはしましたが、診察は池ちゃんの時間だからと譲りました。ちょうどその頃、私自身の心も辛くなってきました。私は長野にある山の家に逃げ込みました。私自身、冷静さを失いかけている気がしたからです。

離れてみれば、私の気持ちにも変化があるかな?と思いましたが、それは全然ちがって、逆に、様子がわからないことが、心配で、心配で。
気持ちを集中させるために、毎朝、鬼押し出しまで標高500mをランで往復しました。アホですね。まるで修行僧状態。爺とふたりっきりだったので、毎日、毎食、池ちゃんへメッセージをおくり、今日、あったこと。山の自然や生き物の写真をおくりました。

彼女の家の山の家は駒ケ根にあり、たくさんの思い出がつまっていたはず。「遠くて行けない」と言っていたので、まあ、同じ長野でしょ!!と紅葉の写真などをおくりました。

走ってる間は涙ばかりが出ました。街中ランだったら、変に思われるかもしれないけれど、シーズンオフの北軽井沢。だれーもいません。なので、声をだして泣きながら走りました。そして、私の心にひとつだけひっかかっていたことを、打ち明けることにしました。

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