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2015年10月26日 (月)

我が最愛の友の死

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我が友・池田陽子が24日の夕方、空へ旅立ちました。

 

まず初めに、困難な状況下、全力で彼女を助けようと努力をしてくださった医療関係者の皆さまに深く感謝をいたします。また、最後まで彼女の希望を受けとめ、不安や苦しみを和らげようと大きな愛で受けとめてくださった医療関係者、ボランティアの皆さんにも深く感謝いたします。そして、私のような人間が彼女の傍にいることを許してくれたご家族の皆様、ありがとうございました。

 

ASCO、もし時間があればプレナリーの1番見てきてください。なおみさんに10年前に『治る薬作ってよ』というリクエストをいただいたことへのひとつの回答につながれば幸いです。『治る』という言葉を使えるかどうかは、またあと10年かかるかもしれないけど、それを目指したいし、目指すのが臨床研究だと思う」

 

そう言われた今年のASCOなのに、私は約束を守れず帰国をしました。あなたではなく、患者会活動を優先しました。プレナリー、行けなくて本当にごめんなさい。

 

池ちゃんと私が初めて出会ったのは、私たちの結婚の準備のとき。かれこれ25年前。

人を惹きつけるキラキラした笑顔は、まぶしいばかりでした。会場の確保から移動手段、名簿づくりやプログラムまで、一手に引き受けてくれ、当時の恋人と仲睦まじく過ごす姿は今でも忘れられません。

結婚後は、お互い仕事に忙しく、あまり会う機会は少なくなっていましたが、メールで連絡をとりあったり。演奏会では、あなたの名前と姿を探し、いつも応援していました。直接会えた時間はとても限られていたけど、ずっと、心はつながっていた気がします。

 

2004年に私が病気をしたとき、あなたは、様々な資料を旦那経由で送ってくれました。今思えば、的確で、私たち夫婦にとっての安心材料のお守りになりました。二度目の手術を受けたときも、何度も連絡をくれ、そっと寄り添ってくれました。

そんなある日、あなたから突然メールが届きました。TNBCが見つかったこと、そして、これから治療に入ること、心配は要らないということが書いてありました。だから、今年の5月、HELPの連絡をもらったときは本当に驚きました。

 

亡くなる二日前、夜中に酸素パニックを起こしました。「家に一人でいた時に同じことがあり、助けをよんでも誰も周囲にいなかったこと。そのときの恐怖がトラウマになって、こうして夜中に目が覚めてしまう」ことを、細くなった腕でマスクを握りしめ、身体をガタガタ震わせながら話してくれたね。大丈夫、横にいるよってベッドに腰掛けたら、だんだん震えが収まってきて、互いの身体の温もりが心地よくて、そのまま二人で寝ちゃったけど、あたしゃあのときに風邪をひいただよ。

 

あなたの苦しそうな寝息を病室で聞くたびに、私の心は苦しかった。それでも、あなたの息が続いていること自体が嬉しかった。背中が本当に小さくなっちゃって、手にも足にも、頑張った痕がたくさんありました。本当によくがんばったのだと思います。

 

ベッドサイドでのカンファレンスで、「こんな身近に、本当に人生で大切な人がいることに気づかなかった。もっと早く、自分から近づいていれば良かったと後悔している」と話し、人から触られるのが大嫌いなあなたが、手を伸ばして私の手を握ってくれたとき、私も同じ思いでいっぱいでした。あなたの前では絶対に泣かないと誓っていたけど、あのときは涙が止まらなくて、止まらなくて。あれは反則だと思います。

 

「外来でなおみさんと一緒にいるときの陽子さんの表情が、子どものように安心しきっていて、なんて羨ましい仲だと思いました」と、あなたが空へ旅立ったあとに先生からメールがきたよ。お互いそんなことに全く気がつかず、まじニブすぎ。

 

『治る薬作ってよ』

あなたが、10年前に伝えた私の言葉を刻み、がん患者さんのために365日邁進してくれたように、私も、あなたからもらった宿題を胸に刻んで、解いていこうと思います。

ただ、今はちょっと心が欠けているので、少しの間だけ立ち止まる時間を私に与えてください。

私も強い人間ではないので、たまには私の傍にきてください。いつもの笑顔で抱きしめてください。今でも、心から、あなたのことを愛しています。ありがとう。

 

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