入院していても、酸素だけは、どうしても85程度からあがらず、だんだんと本人も不安になっていました。そして、水曜日に主治医からカンファレンスがあり、レントゲンをみながら今の病状の説明がありました。
まず、池ちゃんに、「どこまで知りたいですか?病状だけか?時間なのか?」などが確認されました(とてもやさしく、でもしっかりとした声で)。池ちゃんは「私は強い人間ではないので、病状は知りたいけれど、これからどんなことが起きるかとか、どのぐらい時間がのこされているのか、そういった話は聞きたくない」と答えました。
主治医からは「わかりました。でも、家族には知っておいて欲しいこともあるから、ご家族には分かりやすく現状を伝えさせてください。いいですか?」「はい」。
そして、肺のレントゲンの写真をみながら、病状が悪化していること。悪化のスピードが速いこと。退院は難しいかもしれないことなどが告げられました。
私からはステロイドが効いていないということ、胸水を抜くことはできないのかの2点を質問しました。いずれも難しいとのことでした。
「もし、本当にそのときがきたら、どうしたいですか?意識のレベルを落とすことを優先しますか?それとも、多少困難はあっても、家族と一緒にいるという意識を残しますか?」
セデーションです。とても大切なこと。以前にも3人ほど肺メタの患者さんの看取りをしたことがある私は、その最後の辛さを知っています。それを、池ちゃんにはさせたくありませんでした。
「ただし、これは、本当にそうなるかわかりません。静かに意識を失われるケースもあるし、様々です。また、@@さんが希望されても、それが適切かどうかは、私たちも考えます。ただ、@@さんがどうされたいかという希望を聞いています」
池ちゃんはずっと考えたあと、
「再発したかもしれないと知らされたとき、内臓系か、呼吸器系かと思いました。呼吸器系は嫌だなと思っていたら、呼吸器でした。息ができないで苦しい思いをするのは嫌です。」「それは意識のレベルを下げることを優先するということですか?」
「はい、意識レベルは下げてもらってかまいません。苦しみは取り除いてください。」
そういいました。私は涙がとまりませんでした。なんでこんなにシンドイ決断ばかりをしなくちゃならんのかね、がんって病気は!そして、池ちゃんはしっかり考えていました。
その後、家族は別室に呼ばれました。私はついていくかどうしようか悩みました。このまま池ちゃんに寄り添っていた方がいいのではないか?と思いました。振り返って池ちゃんの顔をみたら、「行っていいよ。一緒に聞いてきて。」という顔をしていました。
主治医からは、「週末もてば・・・」の状態であることが告げられました。その日が近いことは覚悟をしていましたが、正直、私も驚きました。悔しかった。家族の前で私が泣いたら家族が泣けなくなると思って我慢したけど無理だった。「悔しいです。」とだけ言いました。
その日の夜は、私が病室に泊ることになりました。夜の仕事を終えてからだったので遅い時間になりましたが、毎朝恒例にしていたパンツみせイベント(この日はくまもんパンツ)をしたり、シャワーを浴びた後、下着姿で「着替え、着替え」と病室内をわざとうろついて茶化したり、普段通りを装いました。池ちゃんは、(呆れた顔で)いつもの笑顔でいました。
そして、長い夜が始まりました。

胸水の関係で、右側を下にしないと眠れないので、ずっと顔は私のほうを向いていました。少しおしゃべりをしていましたが、睡眠薬が効いてきたのか、やがて眠りに入りました。全身をつかい、肩で大きく呼吸する姿は、決して、寝心地が良さそうではありませんでした。
朝のメールで、「よく眠れた?」と聞くと、「うーーーーーん。どうかな?」と言っていた理由がわかりました。眉間にはしわがはいっていました。
マスクが邪魔なのか、無意識のうちに手で外そうとします。15分に一回ぐらいはマスクを確認しないと、ずれていたりする。それから、マスクの中や全身に寝汗をかくので、ときどき外してタオルでふきました。マスクが嫌なことは私も手術で経験済み。私もよく外してばかりいて、そのたびに看護師さんに直されていたことを思い出します。
思えば、池ちゃんはアジュバントの最中からの再発。だから、ずっと休薬期間がなかったものね・・・。全身、皮膚のあちこちに赤い湿疹ができていて、引っ掻き傷がたくさんありました。落ち着いて寝ていることはなく、常に腕で身体をかいたり、マスクをにぎったりの繰り返しでした。
「右の祖頚部にもなにかあるな」と日記にも書いてありましたが、頚部のあたりにも、あいつがいるのがわかりました。悔しかった。えぐりだしたかった。

ちょうど3時半ぐらい。私が一瞬寝落ちをしていたら、隣で動く気配がする。ん?いかん!っと飛び起きてみるとマスクが外れている!!えええ、あわてて、ナースコールを押して、マスクを探してつけてほっとしようとしたら、なんと、チューブが抜けている!
えええええ、落ち着け自分!「待っててね、池ちゃん、すぐに酸素いくから!!」と声をかけながら、まずは電気をつけて、チューブを手繰り寄せ、穴を確認してマスクに装着をしました。
OK!
前夜にあったチューブ抜き事件ってこれだったのだと思いました。その時点で看護師さんが登場。あああ、池ちゃんが言っていたのはこの時間差なんだなとわかりました。隣にいたのに気づくのが遅くて、ごめんよ。

その際、看護師さんからは、レスキューを使いますか?と何度か聞かれました。でも、池ちゃんは首を横に振りました。全身が大きくガタガタと震えていました。池ちゃんのそんな姿をはじめてみました。足の先から腕、背中、ガタガタと震えていました。
「大丈夫だよ池ちゃん、ひとりじゃないからね、私が横にいるよ。」そう何度も耳元で囁いて、崩れ落ちそうになる身体を支えました。
30分ぐらいしたら落ち着いてきたので、寝る?と聞いたら、くびを縦にふりました。そして、また寝ました。少し寝た後、空が明るくなってきました。「朝だ!」自分が手術をした日も、とにかく夜が早くあけてほしいと願いましたが、このときも同じ気持ちでした。
池ちゃんの目が覚めたので、おはようの挨拶をしました。池ちゃんは、私の手をとり、「何か夜中にあった?」と聞きました。私は、夜の一件を話しました。すると、以前も自宅で同じようなことがおきたときに、手をのばしても何もつかめず、声をだしてもどうにもならず、とても怖い思いをしたのがトラウマになっている。
「本当に怖かったの!」
こんなに激しい池ちゃんは初めてでした。「だから、なおみさんが大丈夫と言ってくれても、大丈夫って思えなかったの。怖いの。ごめんね、なおみさんだから言うの。怖いの。わたし、全然、大丈夫じゃないの。怖いの。」そう手を握りしめて何度もいいました。「ごめんね。本当にごめんね。逆に不安にさせちゃったよね。ごめんね。」そうお互いが謝りながら、抱きしめ合いました。
背中の癒着の痕が痛いのではないかと私が離れようとしても、池ちゃんは強い力で抱きしめてきました。だから、池ちゃんの気がすむまでそうしていました。10分ほどそうしてから、離れたら、「ありがとう」と顔をみあわせて言いました。お互い、泣き笑いの顔でした。