母外来

2011年11月30日 (水)

献体から帰ってきました

日にちが変わり、昨日になりますが、母の献体後の火葬に立ち会っ​てきました。

まず驚いたのは、落合斎場がめちゃくちゃ新しくなっていたこと!​火葬の間や待合も一新されていて、本当に驚きました。
義父のときは、本当に古くて(それが味でもあった)、寒かったこ​とを覚えています。

斎場内にはシャンデリアがさがり、エレベーターに乗ると<上へ参​ります~>とエコーかかったアナウンス。
<こ、これは、天の声か​?!>と家族でおののきました。

<○○家の皆様、焼きあがりましたのでご参集ください>みたいな​放送が流れたのも衝撃的でした(コメント、ちょっと違うかもしれ​ませんが趣旨は一緒です・爆)

医大の方の案内に従って待合室に入ると、他に3家族ほどいらっし​ゃいました。
次の時間にも何家族か入っていたので、今日だけで1​0家族ぐらいはいらっしゃったのではないかと思います。

しばらく待った後、お釜の間に呼ばれました。

え?と思ったのは、お釜の間に、この日に火葬をする方、全員の棺​がまとめて隅に置いてあったこと。
ただ、本当にポツーンと置かれ​ていました。棺とは気がつかないほど、普通に。
<これ、献体のだよね・・・?>と旦那に聞くと<うん、たぶんそ​うだね>

その中の一つが動かされ、母の棺だということがこの時点で分かり​ました。
写真立てに遺影を置き、棺をみると、本当にたくさんの釘が刺さっ​ていました。ふたは開けられませんし、もちろん、窓はあっても顔​は見られません。
<顔はみられないのですよね?>と聞くと<ええ、お顔はもう3年​経っておりますので、、、>とのこと。これは覚悟をしていたこと​なので仕方がない。

次にお焼香を済ませ、棺の上に花束を置き、家族・親戚で見送りま​した。
このとき、隣のお釜を見ると、豪華な棺にたくさんの花が手向けら​れ、たくさんの人が囲んで最期のお別れをしていました。
でも、うちの母の棺は、白い布が扉に巻かれただけ。
開けることも、何もできません。

本気で涙がでました。
ただ、棺に手をあてて<お疲れ様でした>とだけ言いました。

寂しかったです。

母の気持ちを尊重して生前に合意をしましたが、こうなると、本当​にそれが良かったのか?
もっときちんと見送りたかったという後悔の気持ちが出てきました​。

そして母の棺は消えて行きました。あっけなく。

しばらく待合にいると、<終わりました>と呼び出されました。
お釜の間へ行くと、ふたが開いて、出てきました。

骨の量が少ない!!

これが感想です。結構身長もあり、骨太だったのですが、なぜか原​形をとどめないほどスッカスカでした。
<スウィート←前に飼っていた犬の名前:ラブラドール>の骨の量​より少ない!

驚きでした。
んで、気を取り直して、皆で骨をひろいました。大きな骨を探そう​としてもあまりなかったです。
<火力が強すぎ?>などと言いながら。
愛犬のときと同じ大きさの骨壷なのですが、犬のときは満杯だった​のに、半分もいきませんでした。頭蓋骨の一部と、下あごの一部が​かろうじてわかるぐらい。
んで、あとは風呂敷にくるんでおしまい。

遺骨は父が持って帰りましたが、しばらくは家に置き、春、桜の季​節になったら納骨をする予定です。
でも、本当に、あの隣のお釜との差は大きかったな~と、ぐさぐさ​感じています。

ひとまず、お疲れ様でした!と言いたい。
私はあなたの娘に産まれたことを誇りに思います。産んでくれてあ​りがとう。
そして、空から見守っててください。

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2010年1月16日 (土)

合掌

母の一周忌。献体をしている病院へ父がお花をもって行ってくれました。

そんな中、訃報が入ってきました。ブログ仲間の優奈ママさんが今日、旅立ちました。

がん治療に関する経済的な問題を社会に訴え続けてきました。

忘れられない言葉があります。

「どうして痛いのだろう」

「どうして気持ち悪いのだろう」

「どうして腹水が貯まるのだろう」

何もかもが知りたい

けど予定なし

自分にやる意味がないことなんだと諭される

帰りたいな

Kさん。もうお家に帰れたかな?
いのちのバトン、受け取りました。みんなで解決していきたい。一つ一つ。

ありがとう。

合掌。

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2009年8月16日 (日)

新盆

我が家のお盆は旧盆。(東京では7月が多いのです)

母の新盆を済ませてきました。送り火を家族で行いました。なんだかしんみりです。

父は糖尿病を患っているので、生活などが心配でしたが、母がいたころより、家の中が綺麗になっていてびっくら。冷蔵庫の中身チェックをしましたが、きちんと生活している様子が伺え、ちょっと安心。

母は、とにかくお金に無関心な人でした。
また、うつ、もしくは認知症の初期症状を抱えていたため、最期は異常行動が続き、何が本当で何が妄想なのか、分からない状態でした。

相続手続きをするにも、どの銀行にどれだけの口座をもっていたのか、さっぱりわからず、てんてこまい。ようやく絞り込めてきたので、今日はそのための申請書類づくり。

今までの人生で一番多く、実印を押しました

100回以上は押しました。腕がパンパンです。
不動産のほうは全て名義変更をすることでまとまりましたが、動産がどれだけあるのかは、この申請後にならないと全額はさっぱり不明。

コマめな父が書類を作成したり、原戸籍を集めたり、たくさん動いてくれたので、姉と私は大助かりでした。

亡くなった当初は、<順番が違うよね>などと言っていましたが、もし母がのこっていたらこんなに整理できなかったはずで、我が家の場合は、母が父より先に逝ったほうが良かったようです。

明日は、印鑑証明やら戸籍謄本やら住民票やら、どっぷりとりに行かなければ!

あああ、相続って大変です。
終わった後、互いに、全て整理をしておくことを誓い合いました。

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2009年3月 1日 (日)

合掌

昨日、28日は母の四十九日でした。

骨もないままの四十九日。なんだかとっても変な感じでした。
まだ、電話をすればそこにいるような。。。

とても疲れたようで、帰宅後から爆睡してしまい、先ほど(1日)おきてメールをみてびっくり。

最愛の友・はむさんが、28日の夕方、空へ旅立っていったことを知りました。

同期の桜。

仕事に悩み、続けるかどうか悩みを打ち明けたベルギービールを飲んだ夜。
私が二度目の入院をしたときも1番先にきてくれました。
そして、母の死を知り、<きゃんべる。さんの心と身体は大丈夫か?>と、

常に自分のことより、周りを気遣う優しい姉さんでした。

<春になったら桜を一緒に見に行こう!>とメールを送ったのが、最後になりました。
返事に、最近の写真と猫ポンの写真を返信。

<末期だけど痩せてません>などと、いつものはむ節を炸裂させていました。

今年になって二人も大切な人が逝きました。

病も人生の一部とはいえ、悔しい。早すぎる。

遺志を引き継ぎ、生きていきます。

お花見の一番良い席、みんなでkeepしておいてね!!

今まで本当にありがとう。合掌。

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2009年2月 6日 (金)

湯かん

母を病院から自宅へ連れ帰り、納棺をする前に、<湯棺>というサービスを利用しました。

お風呂が大好きだった母。
でも、入院してから90日、湯船には全く入れませんでした。
最期までの50日間は、清拭もできない状態だったので、首や手、足には垢がつき、かわいそうでした。
また、鼻から酸素吸入を行っていたため、鼻血がついていたり、歯にヤニや血がつきました。

葬儀の内容を打合せていたとき、迷うことなく、このサービスをお願いしました。

ずっと立ち会いましたが、以下のようなことをしてくれます。

  • いわゆる寝たきり用の風呂を部屋にセット、お湯とボディシャンプーで優しく洗っていってくれます。
  • 死後硬直もゆっくりマッサージをしてくれるので、ほぐれてきます(故に、あとから洋服の着替えができる)。
  • 頭髪を必要な個数だけ取り分けて、袋にいれてくれます(今はこれが唯一の残されたものです)。
  • 髪の毛もシャンプー、リンスをしてくれるので、本当に気持ちよさそうでした。
  • 洗いが終わった後、ばっちりメイクをしてくれる(肌のくすみもなくなり、本当に綺麗になります)。

見ている私のほうが、母のあまりに気持ちよさそうな顔に、ほんわかしてきました。
姉も後半から同席をしましたが、ふたりの意見。

私も湯棺サービスをするから宜しく

こういうことは、亡くなる前から家族に言っておかないとあきまへん!
皆さん、おすすめです。(時間が限定されるので調整が必要です)

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2009年1月21日 (水)

献体の話

母は献体登録をしていました。献体というのは、医学生の解剖標本のことです。
白菊会という会がやっています。

告別式のあと、通常なら火葬場へ行くと思いますが、登録した大学病院の解剖学研究室から迎いがきて、出棺します。そして、3年間冷凍保存されます。今頃、たぶん、カキコキン。マンモスみたいです。
とても不思議なのは、、、

  • 火葬は3年後→でも、その間も四十九日や1周忌などの法事は行われていきます。でも、骨も何もないのです。
  • 3年間冷凍保存→何回か出し入れをして細かく解剖していくのか、いっぺんに出して行うのか、全く不明。
  • 3年後、どういう姿でみせてくれるのか?(顔とか見られるのかしら???)

そして、遺族として思ったこと、、、

  • 事務連絡が煩雑→埋葬許可証など3年間保管しなければなりません。家族みんなでコピーを一通づつ持つことにしました。
  • 連絡手間も多し→遺体の引き取りや3年後のための手続きが、一番精神的に辛いときにいっぺんに多すぎ。遺族に任せるのではなく、受け入れ側も動いて欲しい。
  • 遺族の思いも受け止めるべし→通常、出棺の際は、花を入れたり、故人が愛用していたものを入れると思いますが、一切不可。せめて花ぐらい入れさせて欲しいと頼みこんだ結果、花束のみ、もしくは、遺体にシーツを被せた上での献花ならよし(要はドバッと花が棄てられればよい)。
  • 遺体の保管→ドライアイスの入れ方にも注文が入ります。直接あててはダメとかなんとか。
  • 3年後にまた悲しみがやってくる→家族自体が高齢化しているので、今のメンバーでできるとは限りません。

特に、遺族の想い。これを無視した手続きには

これでは献体は広がらない

と思いました。

母の願いだったので私たちも、生前、同意書にサインをしましたが、実際に亡くなり、葬儀を行う際には、気持ちが少し変わっていました。

ちょっとこれってどうよ・・・

と思ってしまいました。
もし、このブログを呼んでいる医療関係者の方がいたら、是非、再考して欲しいと思います。
人間、頭で理解をできても、生死に関わることは、やはり感情が優先されます。告別式は残された者の<想い>を整理する場なのですから。
その儀式が思い通りにできないというのは、???です。

棺の中に入れたものは、みんな3年後にかえってくるとのことなんですが、宗教上いれなければならなかった足袋や傘、杖、白装束など、返却されても困るしな=。

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2009年1月18日 (日)

母の旅立ち

14日、22時に母が旅立ちました。
本当にたくさんの人におせわになりました。ありがとうございます。

14日20時40分。帰宅途中の電車の中で、ふと携帯電話をみると、みたことのない番号の着信履歴が残っていました。<ひょっとして>と思いましたが、もう自宅は目の前。
そのまま一旦帰宅をし、父と病院へ電話をしました。

  • タール便がでている
  • 2日前に輸血をした、この血も混じっている
  • 血圧が急激に低下をしている

との説明を看護師さんから受けている間に父が病院へ到着。<すぐ行くから>と伝え、相方、姉に電話をすると、偶然にもみな帰宅間際。
10日に行ったとき、既に意識が混濁していたので覚悟はしていました。また<タール便がでている>との言葉に覚悟を決めた私は、念のため、喪服を持参し、着の身着のまま車を出ました。

3人で爆走をしていると、父から電話があり。

<今、息を引き取った>

最期のときには間に合いませんでした。

病院へつくと、酸素マスクなどは全てとりはずされ、息をしていない母の身体が横たわっていました。12月からずっと意識朦朧の状態でしたので、本当に声をかければ目を覚ましそうな安らかな寝顔でした。

看護師さんも<夕方まではいつもの状態だったが、20時すぎから急変した>と。

私が罹患をしたとき「私の命と引き換えに、娘の命を助けて」と神社に祈願した母です。
小さかったときの様々な思い出が甦っては涙がでてきます。

今回の入院を通じて感じた疑問点。たくさんあります。それはまた後日まとめたいと思います。

母が大好きだった、自宅の屋上からみえる富士山。
もう一度、見せたかった。

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2009年1月 4日 (日)

お祈りしまくってます~

苦しいときの神頼み!天気も良かったので護国寺へ行ってきました。

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母はMARSアタックを受け、今日も高熱。あ~、体力を奪って欲しくない。
最近は、薬すら飲み込めなくなってしまっていて、下手をすると気道切開などということもありえるなと思っています。んが、それは、母らしい生き方ではない。

緩和ケアも考えないといけないかな~と思いはじめています。

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2008年12月31日 (水)

年は越せそう

今日も、先日の劇的な好転を期待していきましたが、反応イマイチ。マーズアタックを受けていたのが気になっていたのですが、やはり、それが少し影響を及ぼしているよう。

しばらく座っていましたが、全く目を覚まそうとしないので、どう起こそうか?起こさずに帰ろうか?さんざ悩んだ結果、挨拶だけして帰ろうということになりました。

まずは、姉が<ね=!>とか<おきて!>とか<●●●●さ~ん>などと呼びかけましたが、目を覚ます気配はなったくなし。

そんなんじゃダメ!と思い、私は、

<ママ!>

と呼びかけました。すると反射的にパチッと目を覚ましました。3人そろっているのをみて驚いた顔をしていましたが、眠いのか、また、すぐに目を閉じてしまいました。でも、改めて、母は母なんだな~と思いました。

看護師さんを呼び、痰の吸引を頼んだついでに、やり方も教えてもらいました。

あとは風邪だけ。これが心配。

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2007年5月18日 (金)

母外来

実は、きゃんべる。母。1年ほど前からずっと調子がおかしく、あちこちでぶっ倒れまくっている。

私に心配をかけまいと、聞いても『大丈夫』以外、何も言わないんですよね。ところが、とうとう日常生活にも支障が及ぶほど頭の中が真っ白になる回数が多くなり、さすがの昭和ヒトケタ世代も降参した模様。

病院へ行く

とようやく言ってくれました。ところが、先月約束していた日は『調子がよくなったから止めるわ!』とワケのわからない理由で、勝手にキャンセル。

身内としては、『情報がはいらないことの方がよっぽどストレス!』ということで、主治医に手紙を書き、次回から同席させてもらうことを伝えておきました。

数日後、丁寧なメールが届きました。病名から現在の状況から、すべて細かくかいてありました。

病名は『閉塞性肥大型心筋症

このサイトの一番右側の状態ですね。

カテーテルなど外科的に治す方法もあるそうですが、本人は絶対に手術は嫌と。確かに心臓手術はいったん『動きをとめる』ので、母の年齢を考えると、電気ショックを与えて再起動してくれるか?不安です。

午後も検査がスシ詰めだったので、一日付き添い。これで私の気持ちが通じたようで、帰宅すると『薬だけは必ず飲む』と留守電に入っていました。

名前からいろいろ調べると、これ50%遺伝するんですよね。でも、

私より5年健存率は良い・・・

あるとしたら、突然死(心不全)。

自分の病気のことでは、本当に心配をかけました。大きな親不孝をした分、私にできるだけのことはしようと思っています。血圧と生活管理につとめながら、なんとか共存してほしいと思っています。

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